齋藤孝さんの「友だちいないと不安だ症候群につける薬」を読んだ。
なんともキャッチーなタイトルでしかも「友だちいないと不安だ症候群」ってリズム感のイイ名前付けが冴えてる。
しかし、内容は、その症候群を発病してしまう原因を「友だち力」の無さ、で、その「友だち力」をつけるためには「偏愛マップ」でまず自分の好きなことを書き出して、それを見せ合おう、そして自分以外のひとのマップを見ながら、話をしよう、話を聞こう、そして「いいな」と思ったら、ちゃんとその影響を受けて相手に返してあげよう、でもね、独りで居るってのも必要だし、別に友だちが居なくても心配しなくてもいいよ、というのが前半。
そして後半、4章は1986年に「葬式ごっこ」で自殺してしまった鹿川くんとその周辺の人間を取材した「葬式ごっこ 八年後の証言」という本の内容をテキストにした実験的な授業の話。最後の5章はまたまた「友だち力」をつけよう、それも早い時期に、と非常に不安定な中学2年生とその親に向けたメッセージでまとめ。
齋藤さんの話は、わかりやすい。でも、
例えば、研究者などは研究室にずっとこもっていてあまり友だちづきあいをしなくても、満足が得られます。でも、そういう人も私は、友だち力があると思います。それは、ある意味で友だちとの距離感がわかっているから。自分は友だちとはるか遠くにいることで安定するということがわかっているのです。
と書いてるけど、そんな簡単なもんか?って思っちゃう。そんなに簡単に「あります」とか言えちゃっていいのかなと。「満足が得られます」という部分と「・・・あると思います。」との因果関係がようわからん。
人間ってとっても不思議で不安定で多面的で厄介なもんじゃない?そう簡単にAだからBって言われても、ねぇ。
でも4章は、ある意味スゴかった。この「葬式ごっこ 八年後の証言」は読んでみようかなと思った。直接の加害者ではない間接的加害者、要は傍観していた独りの少年の告白が齋藤さん曰く「強いテキスト」として引用されている。
人の生命を支えることは、相手に共感を持って話を聞くだけでも、彼と楽しくやさしい思い出をたった一つ、つくるだけでも、可能になる。ほんの小さなことでも、人の生命を守ることができるのだ。そのことに気づいていれば、決して彼を殺すことはなかった。
この岡山君は傍観者ながら、「鹿川くんを殺してしまった」という意識を明確に持っていること、そして
いま、怖いものは、何もない。自分が弱い人間であることを隠す必要がなくなったからだ。
とようやく自分を見つけた、という部分が確かに強いリアルな言葉として心に残るなぁ。
あといじめはまずは言葉からだ、ということで最近のワカモノが使う、「キモイ」と「うざい」が如何にいじめの発端となっているか、を検証しつつ、
例えば、母親に「ムカツク」とか「てめえ」とか言ったとしても、父親がそれを叱らないでいると、子どもをコントロールすることは不可能になります。それで高校一、二年までいってしまうと、反省するという回路がもう育たないので、一生反省しないという回路に入ってしまうのです。
うはぁ〜、そこまで言い切らなくても!って思うけど、ゼロトレーランス的な発想で行けば、これは絶対に厳しくしないとダメっていう部分ですね。面白いのは、そういう良くない言葉による学級崩壊を立ち直らせた例として学校でお互いを「さん」づけ「くん」づけで呼び合った、というのがあって、これなんかホントに言霊っていう部分かなぁと思う。悪い言葉には悪い力が、でも良い言葉には良い力が備わっている、という証拠みたいなもんか。
最後は、これ。
実は感情というのは文化なのであって、生まれつきの感情というのは頼りにできません。
というのが本質をついてるなぁと。怒りとか憎しみなんてのは文化、つまり大人からの刷り込みなんですよ、だから大人がちゃんとしてれば、おかしくならないんですよってこと。
大人は(も?)大変だぁ!
[いいですね]
今日、本屋さんの子供向けの棚に齋藤孝さんの「そんな友達ならいらなくたっていいじゃないか」っていう本があって、衝撃的なタイトルで印象的だったー 子供にわかるのかなぁ
うちのお父さんは3色ボールペンの虜です
投稿情報: あゆ母 | 2007/04/07 00:20
あゆ母さん、こないだ銀座の伊東屋で
「3色ボールペン、あなたの好きな色、選べます!」
ってのを店頭でやってたよ!お父さんにぜひ!
でも、まだやってるかは定かではない。
投稿情報: yasuyuki | 2007/04/07 21:44