う〜ん、Book Shuffleのmocholaさんの感動的な記事に「いいなぁ」なんて思いながら、実はその時に読んでたのはこれ。
ルポライターの渋井哲也さんの書いた「若者たちはなぜ自殺するのか」という本。
渋井さんが取材した自殺してしまった若者と未遂で終わった若者に対するインタビューを元にどうして自殺するのか、どうして自傷行為が止まらないのか、援助交際の持つメッセージとは何か、自殺に繋がる「生きづらさ」の発端は何か、などを淡々と事例ベースに書き残している。
最後の章がまとめというよりも、これまでの事例をベースにその「生きづらさ」という厄介な代物を「じゃ、何をしたら他人に伝わるだろう?」、「でも、伝わっても判ってくれなかったら?」、「親が判ってくれなかったらどうする?」などという段階に分けて「こうした方がいいかも」ということを具体的に提案している。
ある意味、このパートでは、単に観察者という領域を踏む超えて、当事者としてのスタンスで「死なないで欲しい」という熱い思いが伝わってくる。
「生きづらさ」の原因のひとつに親との関係というのがある。その中のひとつのパターンとして、両親が教育熱心、お稽古や塾などにも通い、「あなたのためだから」という名目のもとに期待をかけられ、その期待に押しつぶされるかのように自分を否定する、「親の期待に応えられないダメな自分」を消し去りたい、リセットしたい、という願望の果てにある究極のリセット方法、自殺、というのがいくつかこの本にも出てくる。
そんな時に原因をつくったはずの親との関係を修復したい、のに出来ない、じゃどうしよう?というところで
子どもは理解を得られない親を精神的に捨ててしまい「この親は理解できない・理解を求めても無駄」とあきらめてもよいのではないか。
なかなか理解できない親に対してメッセージを送り続けること自体、生きづらさを深めてしまう。
とかなり大胆な提言をしている。そして理解してくれる「親の代わり」を見つけよう、と。
追記:マキさんがメッセージくれた。夜回り先生も「判ってくれない、暴力を振るう親なんて捨ててしまえ。世の中にはイッパイやさしいオトナがいるんだ」てなことを言ってるらしい。その通りだと思う。
子供は親を選べないし、ましてや独りで産まれてくることも出来ない。そういう状況で、ある人は家庭内暴力(DV)という形で自分の生きづらさから抜け出ようとし、ある人は自分を壊す、傷つけることでそこから逃げようとする。現れ方が違うだけで実は根幹は一緒なんだなと思う。
「生きづらさ』という視点でDVに行き着く人も自殺する人も引きこもる人もいる。そしてそのかなりの部分の影響を与えられる、というか原因となるのが親という人間なのだ。
人間が社会を必要とする生き物であるとして、親子関係も含めたそういう社会の中で、如何に生き抜いていくのか?色んな例を元に「生きること」「死ぬこと」を考えさせられた。
良く言う「死んだら何にも無い」「死んだらおしまい」というのは自殺が目の前に立ち上ってくる人には逆効果なんだなと感じた。「何も無くなりたい」「消し去りたい」から自殺という選択肢が浮かんでくるのだ。
文体は軽いのにタイトル通りの重い本でした。「魔女」早く届かないかなぁ。まじょ〜〜〜。
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