「西の魔女が死んだ」を読んだ。mocholaさんの心に沁み入るような感想は書けないけど、ちょっと努力してみる。
もしも自分の思ったことが何でも出来るチカラが手に入ったとして何をする?もしも好きなようになんでもやっていいよって言われたら、何をする?この物語を読んで、そんなことをちょっと想ってみた。
学校でいじめられて仲間外れにされて、「まい」はおばあちゃんの家でお休みすることにした。おばあちゃんは、「まい」におばあちゃんのおばあちゃんは魔女だったんだよ、みんなには無い特別なチカラがあったんだよって教える。そしてそれは遺伝するんだって。でも、「まいはまだ新米の見習いだから、これから一生懸命修行しないといけません。」と。
その修行とは、規則正しい生活をすること、自分で決めること、決めたことはやり遂げること。魔女の修行にしては随分と王道というか真っ当な方法。まいは、すこしづつおばあちゃんに助けてもらいながら、それを実践していく。そして家族が一緒になってもう一度、やり直すためにまいは新しい家に帰っていく。
短かった二人きりの生活の中で、一緒にジャムを作ったり、除虫のためのハーブティーをつくったり、足でシーツを洗濯したり、ニワトリの卵を取ってきたり、そのニワトリが死んでしまったり。おばあちゃんの仕事を手伝いながら、だんだんと「魔女」になっていく。エピソードがイッパイでこんなに短い物語なのにちゃんとした映画を観たような感覚。これ、実写がいいんだけど、アニメでも十分に見応えのある映画になると思うけどなぁ。
そんなエピソードからこれを。むかしちょっとトラブってお互い牽制しあっているニワトリの雄鶏とのやり取り。
(雄鶏に)小さな声で「元気?」と声をかけた。
雄鶏はもちろん返事はしなかったけれども、満足そうに瞬きをしてミミズつつきに専念し始めた。
「仲がいいのね」おばあちゃんがおもしろそうに言った。
「ううん、すごく悪いの」
「あらあら」おばあちゃんは笑った。
「まいも魔女らしくなってきましたね」
魔女ってそういうもの?そう、そういうもの。そして魔法ってそういうこと。
そして大好きなおばあちゃんに大事なことを言いそびれてご近所のゲンジさんにもちゃんとも折り合えなくて、新しい生活にはいっていく、まい。
それから、2年たっておばあちゃんが死んだという知らせが飛び込んでくる。そして2年ぶりのおばあちゃんとの哀しい再会。そしてゲンジさんとの会話、自分だけが発見したヒミツのメッセージ。
最後の最後の191pの1ページ丸々使ったメッセージが心に強烈に残る。それこそこの2行を読むためにここまで来たんだと。そしてmocholaさんの小さなメモにあった、 “I know"。
こんな素敵なおばあちゃん、もとい、魔女ならいつでも大歓迎、というか居て欲しい、みんなのおばあちゃんとして。
植物や風景の描写がすごく生き生きしていて、素晴らしい。季節がちょうど今頃、春が終わって芽吹きの季節なのですごくシンクロしていて良かった。出来れば、もっと自然がイッパイ有る田舎の民家の廊下でお茶でも飲みながら、読めたら良かったのに。
子供を遊ばせるなんて別に遊具やゲームが無くても全然問題無いんだなと思う。何かをする、やったことが無いことに挑戦するだけで、十分遊びにも教育にも癒しなるんだと思った。
こんな素敵な物語なのにこんなに無粋なことを書くオレはどうかしてると思うけど。
そして「魔法を手に入れたらどうする?」の自分なりの答は、「あの人に会いたい」、かな。
ステキな物語を教えてくれたmocholaさんに感謝!
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