最近、ホントに最近だけど、5歳のちびっこと遊ぶバリエーションの一つにトランプというのが加わった。
自分自身は、親とトランプなんてした覚えが無い。トランプとかの「アタマと運の勝負モノ」はいつも兄弟とか親戚の連中とか学校の仲間とやるものだと思ってたので、すごく新鮮。
そんな時に、ちびっこと例えば「七並べ」をやると、ちびっこは配って貰ったカードを順番に並べるとこから助けてあげないといけない。当然、ジョーカーを使ったり、わざと妨害したりという「大人ワザ』は使えない。
そして気持ち良く「明日もやろうね!」って言うためには、当然だけどオトナがバシバシ勝っていてはいけない。相手のカード見ながら、「あぁ、そろそろハートの5を出さないと辛そうだなぁ」とか「先にスペード、終わらしちゃおか?」みたいな、オトナから見たらおバカなぐらいに見え見えな配慮といえば聞こえはいいけど、手加減をしている訳です。すこしづつ相手に勝たせておいて、「Rたろう、すごいねぇ!あしたはおとうさん、勝っちゃうぞぉ!」とか言ってる訳です。
走ったり、飛んだりという所で手加減をすると結構な確率で相手にばれる。そりゃそうだ、カラダの大きさが全然違うんだから、簡単に負けるはずが無い。でも、トランプのような頭脳系な遊びでは、往々にして起こり得る訳です。つまり、コドモにオトナがわざと負けてもそれがばれないという状況が。(事実、神経衰弱はかなりマジメにやっても5歳児にかないません。トホホ。)
そして、ある程度、オトナになったら(というか年寄りになったらというほうが正解)、勝つばっかりじゃなくて、ちゃんと負ける、負けてあげる、ということが大事なんだろうと「なんとなく思う」ようになってきた。
こういう感覚は、ベンチャーとかでイケイケの段階のワカモノには判らないんだろうなぁ。ほら、オシム監督も言ってたじゃない?
全部の試合に勝とうとすると子供はサッカーをしなくなります。
ってさ。
上手に勝つのも難しいけど、上手に負けるのも難しいよなぁ。
でも、なんで「上手に負けてあげた方がいいのか?」を突き詰めて考えていないわけです。ただ、なんとなく、勝たなきゃいけないところと負けてもいいところ、負けた方がいいところが判ってきたということかな。
負ける時は「おとーさん、負けてくやし〜!」とかアタマ抱えて叫ぶなんてもしょっちゅうなので、このままいけば、かなりのチカラがつくと思う。負けた時に恥ずかしげもなく、「負けた〜〜〜!」と言えるチカラ(厚顔力というか演技力)が。
「そ〜ら!明日もおとーさん、勝っちゃうぞ!」
カードゲームやってると駆け引きのテクニックが自然に身についてきますよね。
「負けて勝つ」か。
それ良いですね。
将来が楽しみです。
投稿情報: @u-ra | 2007/06/05 06:16
[いいですね]
子供の頃。弟は負けるとすぐ泣いて勝つまでやるので、うちの両親は良く手を抜いて負けていました。僕はそれを見て「ずるい」と思っていたけれど、僕が覚えていないくらい小さな頃は、同じように負けてくれていたのかもしれませんね。
それが子供にとって良いのか悪いのかとか、そういう難しいことは考えずに、ただ一緒に楽しく遊べればいいんじゃないかなぁ、くらいに考えています、はい。
投稿情報: tai-tetsu 太鉄 | 2007/06/05 10:26
[いいですね] ちょうどいま読んでいた茂木健一郎著『すべては脳からはじまる』にも同じようなことが書かれています。勝ち負けもまあ大事だけど、個々に能力の差がある集まりの中で、どんな能力の人も楽しい時間を過ごすためにわざと「負ける」こともルール…みたいな感じだったか。
強い立場のものが上から見てる、とかそういうことでなく、そこにいるみんなに対する思いやりなんですよね。
投稿情報: マキ | 2007/06/05 11:16
わぁ、うれしいなぁ、コメント貰って。なんか最近、ヒシヒシと感じることを呟いてみたんだけど、あんまり深く考えていないので、「どうなのこれって?」って思ったんです。
これを機会に、もちっと子育てネタをメモしてみようと思いますた。
投稿情報: yasuyuki | 2007/06/05 13:42
トランプやオセロなど頭脳系ゲームは負けてあげられるから一緒に遊んでいてもラクなのですが、すごろくはさいころの目にすべてがかかっています。子供相手のときはいつもオーバーアクションでなるべく息子を持ち上げながらやっているので疲れます・・・。
でも、そういうことを考えながらもやっぱり親が本気で楽しんであげなくちゃ子供は喜びませんよね。
投稿情報: mama | 2007/06/06 09:03