「共感」というキーワードに惹かれてこんな本を借りてみた。でも、内容は保育とか幼児教育の現場の人のためのお勉強のサブテキストみたい。
かなり、抽象的な単語と観念的なイラストが多くて判ったような判らんような変な感じ。でも、事例を良く読むと「あぁ、そういう意味ね」と納得すると言う門外漢にはキツイ内容だった。きっと保育の教育をビッシリ受けた現場の人には判りやすいんだろう。(なんだよ、I世界、YOU世界、THEY世界って。信州ラッパーかよっ!)
そんな中でも自閉症気味の子供と担任の先生の関わりを描いた第3章、「「共に」の世界を生み出す共感」というところが興味深い。自閉症気味のタツヤと何とか一緒に遊ぼうとする担任が「なんとかしよう」と思うあまりにタツヤだけを注視して、タツヤがしていることの全体と意味を見逃していたということに気付く場面。そして別の自閉症気味の子供、レイが友達と万華鏡を回し見して、今まで周りの友達の真似して「見える?」って訊くだけだったのが、初めて自分でそのキレイさを体験したために、思わず「きれいでしょ?」って声をかけたという場面。
どっちも子供と担任の関わり、子供と他の子供との関わりを通じて「何か」を発見する、それを共に感じるというとっても感動的な場面なんだけど、さら〜と書いてある。というかそういう文章的な味わいよりも「ほら!こういうことも有るんですよ!だから担任の先生、がんばって!」という調子。
この本でちょっとびっくりしたのが、担当する先生のほうも常に新鮮な気持ちで、子供たちを見つめて一緒になって感じたり、考えたり、遊んだりすることが大事なんだと明記してあるところ。先生だって悩みながら育ってるんだと。
ある程度経験のある先生でも、いや、経験があるからこそ、「こうであってほしい」という要望を押し付けるのではなく、「この子は何がしたいんだろう?」「どうしてそれがしたいんだろう?」という受け入れ、共感する気持ちで臨まないと子供を理解することは出来ない、そして理解が無いところには成長が無い、というところはすごく同意出来る。
要は親も同じで、第5章で出てくる友達を叩いたりして泣かせちゃう問題児、リュウとその母親のエピソードを読むと、いつも背後霊のように子供をコントロールしようとしていた母親が、子供が園に慣れて遊ぶことが出来るようになるにつれて、「子供を指導・介入する」姿勢から抜け出していくところが赤裸々に語られている。この部分は妙に生々しくて、だからこそ説得力がある。
(ケンカをしている子供に)「やめなさ〜い!何やってんの!」という前に5秒待ってくれ!っていう副園長さんの言葉。いきなり命令や詰問をせずに「まず、どうしてそうしたのかという様子を見て欲しい」と諭されるところ。どれも母親のツライ部分を突いている。
ちょっと長いけど、インタビューの部分を引用してみる。
母親:(ケンカをしてしまった自分の子供に対して)もう私だったら「何言ってんの!あんただってやったんだから、ごめんなさいでしょう!」とかなってるんですけど、ちょっと先生にそこでお任せしたら、S先生はそういう風に「わかってるからさ。仲直りしたら教えてくれよ」って。でもリュウは「やだ!教えない!」って言ってたんですけど。そういう時、もう、ここで何言ってもだめなんだよね。そうなっちゃってる時って。でも、例えば次の日、朝起きた時に「あの時どうだったの?」ってまた蒸し返すのもどうなのか、その場で解決するのがいいのか、どうなんでしょう、先生。
先生:わかりません。そんな難しいことわかりません(笑)。
最後の「わかりません」はオチじゃなくて模範解答だと思うwww
結局、親には何とかしたい、ちゃんと育って欲しい、という強い思いがあるのだ。特に母親には、「みんなと仲良く一杯遊んでお友達作って決まりも守れるようになって欲しい」という思い。でもそれは、本当にその子のためにという部分も有るんだろうけど、母親として「あたし、失格じゃ無いよね?みんなと同じぐらい良い母親だよね?」って確認したいと言う気持ちとメンドーなことは避けたいから、メンドーを起こしてくれるな!という気持ちとかがマゼコゼになった切な要望なんだろう。だって助けてくれるひとはそうはいないし。
でも、そういう対外的評価から一旦離れて、子供が何をしようとしているのか、今何を見ているのか?どうしてそうなったのか?をちょっと引いたところから見る、という態度が必要なんだとと言うことだと思う。
親は、子供を望遠レンズやマクロレンズで見るんじゃなくて広角レンズで広く見る、自分の子供だけじゃなくて他の子供も先生もそして他の親も、という感じか。要は全体を見てね、局所だけじゃなくて、子供はガラス張りの水槽やらケージのなかで生きてるんじゃなくて社会に生きてるんだよと。だから、いろんなところでぶつかりながら学んでいくんだよ、その機会を奪い取らないで、親に都合の良いモノサシで計らないでねって。
そういう気持ちになると少しは行為の意味や方向が見えてくる、それに付いていくという感覚が必要なのね。先生も大変だけど、親も覚悟が要るなぁ。
話は変わって、デジイチが欲しい....。広角レンズ付きで。これ書いてて思い出しちゃった。はぁ。
「共感」というタイトルのわりには「ビジネスとしてのスタンス」の話に見えますね。
実際人と接する職業はそのスタンスを忘れて無防備に共感したり共鳴したりすると身が持たないと思いますよ。
しかもまともな広角レンズって高いよねー←共感。
投稿情報: コーノ | 2007/06/08 18:08
どーもです。
いや、何が言いたいかって言うと「先生、正解はどっちですか?」みたいな態度はダメなんじゃないかと。子供も親も先生にとってみたら、みんな初物なので、一般的に〜とかこういうばやいは〜とかの確率法でやられたらたまらんし、そういうのを「先生っつー職業人」に要求すんなよってことで。
と自戒をこめてメモしてみる。
しかしレンズが20万以上って下丸子のプリンタマフィアは一体...(ry
投稿情報: yasuyuki | 2007/06/08 18:16
教員やら保育士やらに訊くならまず家庭で考えろよ、と思えるような案件が気軽に持ち込まれるのもヘンだとは思うけれど、特に母親にはこういう系統の人もいるのではないかと容易に想像できるわけで、「わかんない」なんて言ったら教育者ビジネスの中の人はお客様であるところの親御さん達にダメ出しされることが多いから自衛しちゃってるとも思えます。確率法なお答えがFAになっちゃってる現場にはフツーの理屈の人(特に男親)がもっと必要なんでしょね。
レンズは作ってるところと売れる数を考えたらそこそこ高額な光学レンズでも仕方ないっつーか、素人が赤ハチマキ買おうなんて考えちゃダメっしょー(笑)。こっち(せいぜいこれとか)にしとけや。
投稿情報: コーノ | 2007/06/08 19:03
いやいや、これ書いてから「レンズって確かにコスト掛かるよな」ってことで高杉!は撤回しようと思う。
下丸子方面の皆様、もうしわけありませんです。
投稿情報: yasuyuki | 2007/06/08 22:37