前に読んだ齋藤孝さんのこの本、ここで紹介されている「葬式ごっこ 八年後の証言」という本の続編のような本。
表紙のデザインが息を呑むぐらいに衝撃的。
これは、1986年2月1日に自殺した鹿川裕史くんに対するいじめ、「葬式ごっこ」で使われた色紙のコピー。
丁寧に消された名前の黒塗りが不気味だ。
読み進んでいくと作者である豊田充さんがどれだけ冷静に過去のデータを分析しているか良く判る。いじめをゼロに見せたい学校とそれを管理管轄する教育委員会、そして文科省。失われた7年。だれもが「オレはみてない」といったひたすら逃げている事例をこれでもかと言わんばかりに冷静に並べている。
八年後にインタビューに応えた当時の同級生、岡山くんもそれ以外の同級生も皆、それぞれが痛みを感じている。あのころの中学生も、もう親になる位に時間が経った。でも、ここまでちゃんと付き合ってインタビューを21年越しにとれるというのは執念としか言いようが無い。
これまで何冊か読んだいじめに関する本の中でここまで冷徹に事実と向き合った本は無かったような気がする。それ位に「感情に流されずに周りを見ろ!誰がお前の敵なんだ?お前を騙そうとするヤツは誰だ?」ということを繰り返し、繰り返し確認させられる。
そして文科省の対策の何が問題か?それをどうしたら良いのか?を具体的に書いてある。かなりの学校に配属されているスクールウカンセラーについては、効力の有る唯一の対策だと認めた上で、
いじめは被害者・加害者双方の個人的事情よりも、教室という半ば閉鎖的な集団内部の人間関係に原因がある。
だからスクールカウンセラーは「個別対応」ではなく、いわば「集団性対応」をする必要がある。
と述べる。つまり、まだ大人にもなりきれていない、ということは言葉等による表現力が乏しい相手に対して個々を見つつ集団としてのチカラの動きを見なければいけないということだ。
そんな難しいことを一クラス30名に対してたった一人でやりこなすことを期待されているのが教師と言う商売、なんだろう。
とにかく、これだけ冷静にデータとその解釈と対策を見せてくれた本はそうはない。齋藤さんが授業で使いたくなるのも判る。
でも、これからは自分自身に対してこう問い掛けないとこの本に出会った意味が無い。
「悲しむのはいい。でも、涙を拭いて、顔を上に向けろ。そして、考え実行しろ。自分に出来る何かを。」
一人の子供の親として勇気づけられ、そして静かに周りを見回して自分が出来る何かをしよう、そういう強い意志を持つことを求められている気がした。まるで本のページの間から熱い風が吹いてくるように。
最後の齋藤さんとの対談で、如何にいまの子供たちが教師と言うおおよそ金属疲労を起こしているゾンビみたいな存在に台無しにされているのか!がリアルな感覚とともに浮かび上がってくる。如何に今の教師が子供をダメにしているか?そしてそれを取り巻く環境はどうなのか?
「もう歳だから後はテキトーによろしく」といういい加減に教育に向かう態度は、絶対に許されない、というのがこの本の結論だ。
もういっこだけ引用。
いじめは不良がするとか、そういうイメージはとうに古い。そうじゃなくて、ふつうの生徒でも、向上心のない、よどんだ集まりが危険なんですよ。いじめは、あこがれのない教室から生まれる。
久しぶりに良い本だった。おススメします。
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