たまたま観た「時をかける少女」とか「ゲゲゲの鬼太郎」とか「Always 三丁目の夕日」とかが素材として散りばめられていて、それはそれなりに楽しめたんだけど、なんとも自分自身では消化出来なかった評論集、とでも言えば良いのか、「情緒論 ー セカイをそのまま見るということ」を読んだ。
なんともこっち側の素養が無いので、この本に関して表現のしようが無い。おもしろい本であることは確かなんだけど。
ただ、「ぬっと出る、ということ」という章で「妖怪」に関する研究会の講演を採録した内容の一部に、かつて観た「ゲゲゲの鬼太郎」のアニメの中で個人的に印象に残っているハナシが出て来てびっくりした。
鬼太郎がニューギニアにある島に行って大海獸という怪獣を退治しようとすると、悪い科学者の企みでその血を注射されて、鬼太郎自身が大海獸になってしまう。そしてメダマのオヤジにもだれにも鬼太郎だということを判ってもらえなくて逆に退治されそうになる。結末がどうなったのかは忘れちゃったけど、鬼太郎が判ってもらえないという場面で泣き叫ぶところが記憶の中に在って「鬼太郎、かわいそう」って思った自分の子どものころがフラッシュバックした。
そう、オリジナルの鬼太郎って妖怪に乗り移られたり、自分が変身しちゃったりというのが結構、多いんだね。だから、今のイケメン鬼太郎があんまりピンと来ないだろう。
そう言う意味ではR画伯の『ニセモノ鬼太郎』は、鬼太郎は完全無欠の正義の味方ではないという意味でイイ線行ってると思う。本人はそんなことな〜んにも考えていないと思うけど、感じてはいるのね、きっと。
恐ろしい妖怪の筆頭、バックベアードの眼が上下逆さまだっていうのはこの本で初めて知った。よく見るとたしかに逆さまだ。あと、水木しげる先生の原本は異常に背景とかが緻密に描かれているんだけど、その理由とか。う〜ん、妖怪モノは奥が深い。
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