そう、「学校のモンスター」もスッゲーよかったんだけど、これもなかなか。
ただね、もう少し、それぞれのインタビューがもうちょっと長くても良かったんじゃないかな。哲学(倫理)のとか数学のとこの内容をもっともっと読みたかった。そうすっととんでもないページ数になりそうだけど。この辺がいわゆる書籍の限界、かな。ネットで公開すれば良いのにね。
そんな中で数学の新井紀子さんのとこの文章を(長いんだけど)引用しておく。
「わからない」は悪いことじゃない。自分の世界を広げてくれるきっかけになる経験だと思います。
「わかる」ことは、「すぐわかる」から来たときは浅い。「わからない」から「腹が立つ」、だから「考える」、そして「わかった!」となったほうが深い。さらに、「わかった!」から「自慢する」、でも「みんながわかってくれない」、「悔しい」、だから伝え方を「工夫する」、そうしたら「みんなにもわかってもらえた!」・・・というふうに何層にも重なって「わかる」に至るときに、深く「わかる」ものだと思います。そういう意味でも、特に証明問題をたくさん経験するのは、子どもを育てるうえでかけがえのないことだと思っています。なんとなく「いいよ、いいよ」で来て、自分は数学がわかるのかわからないのか、得意なのか得意じゃないのか不明なまま、挫折したことが一度もないというのは、ちょっと怖いですね。(中略)
数学は「わからない」経験をたくさんさせることができる。「わからない」→「考える」→「わかった!」を毎日経験させることができる科目は数学だろう、と私は思います。
こんなことをキチンと伝えてくれたら、もう少し数学にチカラ入れてたような気がするけど、ちと後の祭り。
倫理のところの鷲田清一さんの言葉もイイ感じだなぁ。
(倫理は)教えにくくてあたりまえなんです。答えを教えるのが教育だと考えているかぎり、「倫理」は学校には合わないでしょうね。「倫理」は、あるいはもっと広げて「哲学」は、答えられるかどうかわからないけれども問わずにはいられない、というものばかりなんです。(中略)
人生で一番大切なことって、わからないことに、わからないままどう対処するか、っていうことじゃないですか?たとえば、人間はいつ死ぬかわからない、わからないまま、どう生きていけばいいのか・・・・・。わからないものを、無理やり自分の小さな持ち駒の中に入れて解釈してわかった気分になるのではなく、わからないままきちっと対処するのが、一番重要な問題だと思うんです。(中略)
問題が配られたら、まず「わかる問題」「わかるかもしれない問題」「わからない問題」に分けて、「わかる問題」から先にやる。「わからない問題」は捨ててしまう。でも人生は逆でしょう。わかっていることはもういいから、わからないことからやらなければいけない。ところが、受験勉強の方法が染みついてしまうと「わからない問題」をあっさり捨ててしまうことになる。「知る」というのは、見えているものを通して見えていないものを見る、という想像力の営みです。その想像力をどういうふうに培うかも教育の原点です。
とりあえず子どもを持つ大人は読んだほうが良いと思う。360°ぐるっと教育っていうものを俯瞰できるし、今の問題点もかなりクリアに見えてくる。一発逆転みたいな解決方法はなかなか見えてこないけど。
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