何をか?っていうと、「なんでふつーのアメリカ人は、基本オトナがエライっていうか尊重されているのに、例えばもの凄くカッコつけてるレストランとかでトイレに行くと途端に人間をというかオトナを動物のように扱うのか?」ってこと。
なんだかわけわかんないよねぇ。そう、もう少し説明するから。
こっちの公共のというか商業施設にあるトイレってインテリアがタイルとステンレスでどんなに濡れても大丈夫なようにヘビーデューティーな感じで作られている。女性のほうは知らないけど、男性の
ほうの大の部屋(?)は下がスースーに隙間が空いてる。つまり日本的な「閉じられた個室的プライバシー」なんてものは無くてひたすら開けっぴろげでしかも薄ら寒い。現実的にそのほうが掃除もし
やすいだろうし、効率的だと言うのは判るんだけど。
トイレに行くってことを英語でカコつけて言うと、「Nature is Calling」なんて言うらしいけど、トイレに入った瞬間に「人間は野生に還る」って思ってるんじゃないだろうか?それぐらいにカッコつけてない。というか人間の理性とかマナーを信用していないように思える。
例えて言えば、映画なんかで観る監獄とかに備え付けのトイレと基本あんまり変わんない。「その時」は「動物としての生理」が最優先でカッコなんかつけてる場合か!ってことなんだろう。なので日本のカッコつけたホテルのトイレの記憶が生々しい時にいきなりアメリカの空港のトイレなんかに入ると仰天する(のは自分だけ?)。
まぁ、そんなことをシアトル屈指のアウトドアショップ、REIで考えてしまったのは、こういうことがあったからだ。たまたま、REIのトイレで「大きい」ほうに入ろうとした。そしたら、満室?でちょっと中の外で待ってた訳です。で、先客が出てきて入れ替わりに入ってみると、どうもフラッシュが自動になっていて自分でレバーを「ガチャン!」と流せない。そしてその自動式フラッシュもゆったりしてるだかわざと鈍感にしているんだか、人間がドアの外まで出ないと反応しない。ここまで書いて判る人は判ると思う。そう、入れ替わりに入ってみるとちょうど「ウ●コ」がゆっくり流れて行くところだったのだ。「うぎゃ〜〜〜!!」と思ってしまったのは言うまでもない。
しかし、そんなのも自分の意思で流せないのかと。そんなに人を信用出来ないのか!と。
自分が出したものが他人に見られるってのは、他の人はどうか判らないけど、自分なら相当恥ずかしいと思う。
でも、無駄に水を流させないぐらいに信用してない。そして、そんなの気にしちゃいけない、つまりカッコつけてる場合じゃねぇだろ?というぐらいに動物のように扱われる。気にし過ぎかもしれないけど。
日本人として「その瞬間のトイレは自分の部屋」、「その時でも理性を失わない」的な感性で良かったと思う。人間として信用されている気がする。勿論、インテリアに関して言えば、NYとかの大都会の超高級ホテルに行けば、状況は違うのかもしれないけど。
それにしても最近の東京の商業施設のトイレにおけるウォシュレット装着率はもの凄く上昇していると思う。アメリカに来てそれだけはホントに残念。TOTOの中の人、もっと頑張ってアメリカで売ってください。勿論、あの巨大なお尻を支えるだけのアメリカ人向け設計が必要だとは思うけど。
なんてことをREIで考えてみた。ちなみに写真は特に関係無いのでスルーしてください。
最近のコメント