あ〜、遂に全6巻読み終わりました。はぁ、長かったような短かったような。
最初にルグウィンの解説があって、第4巻を書いた後にこの別巻が来て、最終の「アースシーの風」はその後に書かれたという種明かしがある。そこでいわ〜ゆる「ファンタジーもの」がお金になってゆく、いわばあの世界一有名なネズミの会社のやり方を批判しながらも、人間の想像力はもっと耐久性のあるもんだよって教えてくれる。
商品化されたファンタジーは危険を冒すことはしない。新しい何かを創り出すことはせず、模倣と矮小化に終始する。(中略)ヒーローは剣を、レーザー光線を、はたまた魔法の杖や棒を振りまわし、コンバインが機械的に刈り取りをしていくように、ガッポガッポと金をもうけていく。読む者を根底から揺るがすようなものの考え方はことごとく排除され、作品はひたすらかわいく、安全なものになっていく。すぐれた物語作者たちの、読者の心を熱く揺さぶった発想あるいはものの考え方はまねされ、やがてステレオタイプ化されて、おもちゃにされ、きれいな色のプラスチックにかたどられ、コマーシャルにのせられ、売られ、こわされ、がらくたの仲間入りをさせられ、ほかのものに置き換えたり、取り替えたりされていく。
でも、そんなファンタジーを支えている人間の想像力だけはちゃんと生き延びると教えてくれる。
想像力は、他のあらゆる生命体と同じように現在を生きる。それは本当の変化とともに生き、本当の変化に基づいて生き、本当の変化から養分をもらって生きるということである。私たちの行為や持ちものと同じように、想像力も時には予定外のものに勝手に用いられたり、弱まってしまうこともあるが、それでも金もうけの道具に使われようと、説教の道具に使われようと、きっと生きのびる。国破れて山河あり。
そしてその解説の一番最後にもの凄い一言が。
物事は変化する。
作者も魔法使いも必ずしも信用できる者たちではない。
竜がなにものであるかなど、誰にも説明できない。
ゲドとその家族、友人、そして竜たちの物語を自分の想像力で自分なりのファンタジーにしていけばいいんだよ、ということね。つか、種明かしはしません、フィギュア作って一儲けなんて絶対にしませんから!っていう宣言なわけだな。これでよく映画化してもらえたよなぁ。
これ、また何年か後に読み返すと面白いのかも。そういう意味でやっぱり全部買わないと。>自分。
この外伝のなかでもやっぱり「生と死」にこだわってて、こんなことを様式の長に言わしてる。
あんまり長い間変わらないでいると、なんであれ、自壊するものです。森が永遠の命を保っているのは、死ぬからです。森は死んで、死んで、生きるのです。
全6巻読んでから、この小冊子を読みかえしてるんだけど、なるほどなぁと。
最後に総括ってことで。やっぱり良い物語だった。ちびっこが読めるようになるのはいつだろうなぁ。
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