今朝、地下鉄の駅のエスカレーターを上っている時にさっそうと追い越していった若者のTシャツの背中にこんなメッセージが。
「game is life, life is not game」
うん、カコイイので思わず記憶にメモメモ。
今朝、地下鉄の駅のエスカレーターを上っている時にさっそうと追い越していった若者のTシャツの背中にこんなメッセージが。
「game is life, life is not game」
うん、カコイイので思わず記憶にメモメモ。
え〜と。そう、え〜と。あ〜ん〜と。JR品川駅の向かいにあるSONYマーケティングさんのオフィスで新製品のα300を見せて貰いに行ってきた。AMNさんのいつものミーティングね。
で、え〜〜と。なんつ〜か。う〜んと。こないだ、NikonのD700を絶賛したワタクシとしては、もうこれは別の道具なのよ、と思い込めばイイわけで。値段だって全然違うし。
なんでこんなに、あ〜とかえ〜とかう〜とか書きたくなっちゃうかというとですね。やっぱりレベルが違うんだと思うんです。はい。そういうこと。なので、ここからは奥歯にモノがハサマッタのを無視しつつ、レポートしてみる。
今回、一番言いたいのはこれ。
実はα300が出る前、つまりラインナップとして「α350」と「α200」の時にもこれと同じデザインのカタログを持ち帰って、うちで見直して「これはスゴイ!」と一人興奮してたのを覚えてる。つまり、香椎由宇なんて流行のキレイどころを使ってんのに(しかもあの眼がスゴイ特徴的なのに)わざと目線を前に向けない。
香椎由宇の眼が見てるのは、手に持ってるα350の液晶なわけだ。最初は一体誰だか判んなかった(基本、芸能人は知らないんで、だいたい判んないんですけど)。これをディレクションしたデザイナーはスゲーなーと思ってたら、α300が出ても今回貰ったカタログの表紙は同じモノを使い回しなのねん。それはそれでイイと思う。だって表紙がイイから。
今回のミーティングでは、ちゃんとプロの写真家のひとが来てくれて短時間で「絞り」と「シャッタースピード」について写真の基礎の基礎を教えてもらった。いやぁ、面白いですねぇ、写真って。
昨日は、竹橋から大手町を通って東京駅八重洲まで歩いてみた。で、なぜかオフィス街の一角でオレンジのハッピのおにいちゃんが声を嗄らしているので、なにかな〜と思って近づいてみる。
そこは、KDDIさんの本社ビルでした。で、何故かこんな着ぐるみのおにーさんを発見。(性別が判っちゃうのはなぜだろう?)
東京も夏になったことだし、いつも掛けてるメガネを夏用に換えてみた。
といっても、新調したわけじゃなく、前から持ってるヤツに換えただけだけど。
ちょっと涼しげでいいんだけど、実際にはレンズの下の縁が太陽に反射して眩しいんだよなぁ。そういう意味では、全然夏向きじゃないんだけどwww
コーノねーさんのとこにもありましたが。もう、いったいどこの会社ですか?って感じ。新聞だからどうとかではなくて、いわゆる「不祥事」を起こして、その対応をどうすっか?という辺りがもうグダグダ。
もうひとんちを糾弾するときゃ、すっごい勢いでするくせに自分ちの話になるとてんでダメって。
この記事の最後にあるように、毎日のなかのひとは、勇気を持って出てきて欲しい。ぶっちゃけこんなにダメダメでしたぁ、ワタシたち!って言ったら、少しは消火できるかもね、と生温かく見守らせて頂きます。
結局、コイツにガツンとやられてしまったわけで。iPhoneもイイけど、コイツのほうが趣味にはあってる。電話もゲームもしないしね。
ということでご近所の恵比寿で開催されているNikonさんのD700イベントに行ってきましたよと。
そのこころは・・・・
「なんだ、よしもとばななってあゆ母さんじゃん」って思っちゃったってだけなの。
実は、初めて読んだその名も 「はじめての文学 よしもとばなな」。
いわゆる若い人向けのよしもとばなな入門のための短編集、なのね。本人のあとがきが泣かせる。あとがきのタイトルが、「読んでくださった若い人たちへ」だもん。そこから引用。
しかし、私は若い人たちに、こう言いたいのです。
夢も持てない人生なんて、あってはいけない。夢とは、お金持ちになって広くて良い部屋に住み、仕立てのいい服を着て、おいしいレストランに行く・・・・・・・そんなものではないのです。夢とは、自由のことです。
そして短編に出てくる主人公の女性たちも日常の生活のなかから、少しだけ状況を変えてみたり、回りの変化や事件にちょっとだけ抗ってみたり、そうしてすこしづつまえに進んで行く、というひとオンパレード。
まるで、ちょっとぬるいけど、美味しい炭酸入りのミネラルウォーターみたいにキーンとしてなくて、でもさわさわしながら、ココロに沁みてくるような話ばかりだなぁと思った。
「キッチン」のえり子さんのセリフ、
「まあね、でも人生は本当にいっぺん絶望しないと、そこで本当に捨てらんないのは自分のどこなのかをわかんないと、本当に楽しいことがなにかわかんないうちに大っきくなっちゃうと思うの。あたしは、よかったわ。」
とか「おやじの味」の最後の文章、
久しぶりに食べたオムレツは死ぬほど懐かしい味がして、私は、久しぶりに、生きていることに意味があるような気がして、ビールを飲み過ぎてしまった。だから、ドラマでも見て寝よう、と思った。生きていることには本当に意味がたくさんあって、星の数ほど、もうおぼえきれないほどの美しいシーンが私の魂を埋めつくしているのだが、生きていることに意味をもたせようとするなんて、そんな貧しくてみにくいことは、もう一生よそう、と思った。
とか「デッドエンドの思い出」のなかの
今ならわかる。最低の設定の中で、その時私は最高の幸せの中にいたんだということが。
あの日の、あの時間を箱につめて、一生の宝物にできるくらいに。その時の設定や状況とは全く関係なく、無慈悲なくらいに無関係に、幸せというものは急に訪れる。どんな状況にあろうと、誰といようと。
ただ、予測することだけが、できないのだ。
自分で思うままに作り出すことだけができない。次の瞬間には来るかもしれないし、ずっと待ってもだめかもしれない。まるで波やお天気のかげんのように、誰にもそれはわからない。奇跡は誰にでも平等に、いつでも待ってる。
私はそのことだけを、知らなかったのだ。(201p)カレーを作っていて、たまたま残ったヨーグルトやスパイスやりんごなんかを入れているうちに、そして玉ねぎの量なんかをちょっと多くしたりしたら、本当に百万分の一の確率で、ものすごくおいしいものができてしまったような、でも、二度とは再現できない、そういう感じの幸せだった。(251p)
とかさ、もうこれは「あゆ母語録」にありそうだんもん。
で、またあとがきにもどると
私は、実際に会ったら、ケチでずるく腹も出てるし白髪も目立つ単なる口の悪い子持ちのおばさんですが、現実ではなく、小説の世界では言葉で魔法を使います。そこだけは大人として信頼できる点です。
「信頼できる」ってとこがぜんぜん説得力ないんですけどwwww あ、あゆ母さんと会ったことが無いひとは、上のとこは読んでも無視して〜。決してそうじゃないですよー(棒読み)
だいたいこの写真のキャプションの付け方からして、もう似てる。よしもとばなな、あゆ母さんのVox読んでんじゃないかと。
ということで次は何読もうかなん。
と言う状況になって、自分にとってのVoxの価値って、かなりの部分、本をサクッと追加しといてそれからおもむろに感想文を書く、っていうとこだったんだなぁと思い知った。
ということでバグが直んないうちに読んだ本をメモしておく。
「暗黒天使メストラール」
「スカイシティの秘密ー翼のない少年アズの冒険」
しっかし、Amazonからもってこれないぐらいでこんなにも感想文を書く気が失せるのはなんでだろう。
うえのどっちの本もそんなにグッと来なかったからかな。
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