「信仰が人を殺すとき」という本をちょっと前に読み終えたんだけど、なかなか書けないでいた。でも自分のためのメモなんで、頑張って書いてみる。
話のスジは、1984年の7月24日に起きた24歳の母親ブレンダとその娘、1歳3ヶ月のエリカの殺人事件から始まる。事件が起きた場所は、ユタ州プロヴォ。そう、あのモルモン教のど真ん中みたいなところ。
そして、すぐに容疑者として浮かびあがったのが、ブレンダの夫アレンの兄、ロンとダン。二人ともモルモン教(正確には末日聖徒イエスキリスト教会)から破門されたモルモン教原理主義宗派の信者。
というところから、モルモン教ってのはどうやって出来上がったのか? 創始者のジョセフ・スミスとはどんな人間だったのか? 後継者のブリガム・ヤングってのはどういう人だったのか? モルモン教原理主義ってのは何か? どうやって二人が殺されちゃったのか? 動機はなにか? などなどを紐解いていくというノンフィクション。
オビの部分の
「背筋が凍るほどのすさまじい傑作」
というのはあながち間違いではない。というかかなり当っている。
初めて知ったんだけど、モルモン教の一番最初の頃ってのは、一夫多妻制だったのね。そして当然というか、女性は男性(つまり夫)の世話になるもの、そして子供を作るもの、という位置付け。だから、ひとりのオトコに対して複数の女性が居て、バンバン子供を産め、と。ちなみにユタ州の出生率はバングラディッシュよりも高いそうな。当然、全米一。
そして、黒人は「人間以下」でつい最近(1978年!!)まで神権保持者(よくわかんないけど、神の声を聞くことの出来る立場ってことかな。つまり、教会に所属できるという人間だと思う)になることが出来なかった。当然、ユタのプロヴォには黒人は全く居なかったと。さらに当然のごとく、白人と黒人の結婚はものすごいタブー。
ということで都内でちゃんとスラックス履いて白いシャツにネクタイで日夜布教に励んでおられるみなさんが、どうして白人二人組なのかが良く判った気がする。
そんなわけでモルモン教のことをかなり細かに解説して、この殺人事件の背景を教えてくれる。知れば知るほど、宗教と言うのは人間を変えられるんだなと思い知った。
でも、この著者が言いたいことは、別にモルモン教だけを糾弾したいということではなくて、もっと根源的な問題じゃないかな。
本のオビの後ろに書いてあるこんな文章がこのノンフィクションが読者に問い掛けている究極の問いなんだと思う。
こんな問いに簡単に回答できるとは思えないけど、もう少し、時間をかけて自分なりの答えを出すべきだなと思う。神の声に従ったから、ロン・ラファティは精神的に病んでいるということになれば、神を信じ、祈りをとおして導きを仰ぐ者は皆、精神的に病んでいるということではないだろうか? 信教の自由を守ることに熱心な民主主義社会で、ひとりの人間の非理性的な信仰は賞賛に値する合法的なものであり、べつの人間の信仰は常軌を逸していると断定する権利が、誰にあるだろうか? 社会は、積極的に信仰を奨励する一方で、他方では、過激な信仰者に有罪の判決をくだすことが、どうしてできるのだろうか?
ホントに衝撃の本だった。特にモルモン教を否定的な見方で表現するんじゃなくて、かなり冷静かつ客観的に公平な見方で表現しているところがとてもイイ。あ、モルモン教の良いところもちゃんと書いてありますよん。
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