たまにブロガーのミーティングでご一緒するYの字がビックリしている会社におツトメのwebmanxさんのセットアップでこないだ大絶賛した赤坂は大関にまたまた行くことに。
日時は、5/22の金曜日です。残り5名様らしいのでお早めに。
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どうも文章がまとまらないんだけど、頑張ってみる。その元は、この本だ。
男女同権は女性を幸福にしないどうもフェミニズムなみなさんっていうのは、ほとんどお会いしたこともなければ、真面目に本を読んだことも無いんだけど、あとからWebで調べてみるとこの著者の人もフェミニズムのひとなんですな。まぁ、そんなのはどうでも良いんだけど。
ただ、上野千鶴子を一貫して批判しているってだけでなんとなく胸がスッとするのは何故だろうww
で、この本のポイントは、男女同権とかジェンダーフリーってのが実は、「女も男とおんなじぐらい働けるし、働かせるべきだ。そのためのサポートこそしなきゃいけない。だから共働き万歳!延長保育万歳!もっと保育園を充実させるべき!専業主婦は何の役にも立ってないんだから、控除を取り上げろ!もっと税金を払わせろ!労働の価値は金銭で計れるべきだ!主婦の労働なんて換金出来ないからダメなんだ!」みたいな論調の根幹にある考えと最近の法改正(改正と言うか改悪と言うかは置いといて)を俯瞰して、実は男女同権は全然、女性自身を幸せにするモノじゃなかったと言う分析をしているところ。
もっと言うと「男女同権」というお題目じゃなく、性別の区別をちゃんとして、昨今ひたすらdisられている専業主婦の社会における役割もちゃんと評価した上で、もっと実際の少子化に効果のある制度や法律を整えるべきだということを数値を元に解説している。ただ、具体的な政策とかはあまり踏み込んでないので、ちょっと想像力を働かせる必要が有りそうだ。その辺のヒントはこっちにあるのかも知んない。
実際に「男女同権」の元で作られた制度や法律が実はここ10年で全然効果を出していないていうのを簡潔に書いてあって、なるほどな、と。結局、達成されたのって「看護婦」を「看護師」と呼んだりっていうなんか「フェミな活動家」が喜びそうなことばっかだもんな。
直観的に(あくまで勘としてだけど)、女性がバリバリ働いていて、でも妊娠とか出産とかのサポートに自分の母親を頼りに出来ない場合に、今の日本で積極的に結婚して子供を産もうという気にはなんないわなぁと思う。特に女性の雇用の54%が非正規雇用になっていて将来の保証もいわゆる産休とかの企業サイドのサポートも無い状態で、かつパートナーたる男性自体の雇用が脅かされているこのご時世では。
出産にまつわる医療の問題も上の世代の介護の問題もはたまた子供の教育問題も若者の就職問題とかも、「社会」が「世代」を跨がって繋がっているという当たり前の状態を意識すれば、この「男女同権」という問題も「20~40歳位の働ける人口」に限った問題じゃないんだなと理解出来る。というか「男女同権」は実は問題ですらなくて、本当は「産科医の減少」だったり、「少子化」だったり、「雇用の不安定化」だったり、「親が子を殺し」たりすることであって、そういう切り分け方で問題をちゃんと考えていかないと単なる「テーゼ」とか「スローガン」の発声の仕方、つまりお題目になっちゃう気がする。つまり本来は「男女同権」がゴールじゃないはずだ。
こういう問題(少子化とか非正規雇用)をお題目(男女同権)にすり替えた瞬間に、目の前のリアルな問題は、政治家の選挙運動のスローガンだったり、お役所の報告書の項目だったり、評論家のコメントとかに置き換えられて、リアルな活動から離れた言葉遊びになってしまうんだろう。
ワタクシは、女性が母親となって子供のご飯作ったり、一緒に遊んであげたり、はたまた叱ったりすることで達成すること、つまり「子育て」が十分に社会の役に立ってると思うし、その行為自体が、顧客向けの提案書作ったり、クレーム処理したり、売上を達成することよりも「達成感があるわぁ」って人が居ても全然オカシイとは思わない。勿論、男性にそういう人が居ても勿論オカシくはない。
そういう意味で女性が本当に幸せになるためのヒントはどうも「男女同権」ではないな、ということに気が付いた。そして、もう少し、この本の先、つまり、「自分が何をしたらもう少し子供が育て易い社会になるんだろう?」を考えてみたいと思った。そのきっかけ作りには良い本です。特に「男女同権は当たり前」って思ってるフェミっぽい人は読んだほうがイイ。
昨日、電車の中で見かけたサントリーさんの黒烏龍茶の宣伝のコピーだけど、
「人生を幸福に過ごすコツは、食べる、飲む、運動する、をバランスよくやるってことですよね」
は、どうみても
「人生を幸福に過ごすコツは、食べる、寝る、運動する、をバランスよくやるってことですよね」
じゃない? なんか無理矢理、食べるに含まれるべき「飲む」を入れてる気がする。烏龍茶なのにサントリーさんのお酒部門に気ぃ遣ってんのかな。>代理店さま。
どっかの寝具メーカーがパロディ作ればいいのにな。
土曜日はハイスコアさんでお料理教室の日だったんだけど、そっちの記事はまた別途ということで。
こないだのDebug Hacks出版記念セミナーで買ってきたTシャツを着て、ちびっこと一緒に巻寿司とかオニギリとか作ってみた。
今日は、元DEC〜オラクル〜ミラクルリナックス〜IPAというITセレブというか実際に会ってみるとスゲェノリの良いおじさまであられる吉岡さんが共同で執筆された「Debug Hacks」の出版記念のセミナーに行ってみた。
いやぁ、だいたいはブロガー向けとかの軟派なイベントに出てる身としては、このプログラマーズのアツい(というかむさ苦しい)雰囲気は久しぶりな感じwww
冒頭で吉岡さんがこの本の最初の部分を朗読してた。なるほど、それぐらいに心を込めて作ったんだろうなぁと。つまり、この本を書いたきっかけとか目的を軽く要約したり、別の話ですり替えたり出来ないぐらいの気合いの入り方だったんだなと思う。
大事なことはちゃんと本に書いてるってことだ。
この本はLinuxを土台にミラクルなリナックスのなかのひとたちが書き下ろしたんだけど、英語モノの翻訳ではないということがまずスゴイと思う。
そういえば、昔はITなんて言わずに単にコンピュータの勉強というと「プログラミング」だったんだよなと思い返した。でも、「プログラミング言語の文法とかコンパイラとかの使い方は教えて貰ってもデバッグの仕方は教えて貰ってない」というのは、当時のコンピュータに関わったひとのかなり共通の認識なんじゃないかな。
これって今の教育方法とものスゴク相似形で「失敗させない」「完成形だけみせて真似させる」という辺りと良く似てる気がする。
そういう意味では、ペットを飼うというのと似てるのかも知んないけど、言うことを聞かないものをちゃんと動かすようにするということは良いものだなと思う。とても大変だけど自分でやんないと判んない物事のひとつ。
「プログラムは思った通りには動きません。書いた通りに動きます。」
日経BPさんのビルの地下にあるお店でこんなセットが。
そういえば、DEXTERのシーズン1の最後の1枚というか9~12話の感想を書いていなかったような気がする。
宿敵の「冷凍トラックキラー」が思った通りに近くにて、しかもストーカーか!ってぐらいにDEXTERに近付いてくる。その理由は、まぁ、なるほどというぐらいなんだけど、前に思った
「オレはどうしてこんなにからっぽなのか?」
「どうして殺さなきゃいけないのか?」
というギモンにちゃんとした回答を見付けられないうちにドンドン展開して逝っちゃってなんかその辺のココロの内面の描写を期待していたワタクシはちょっと欲求不満。
というかあのオトシマエはないわぁー。あれはない、うん、あれはない。
ということで既にシーズン2を見据えた伏線作りがミエミエなので、このまま
「あぁ!!DEXTERはどうなっちゃうの?彼女とはどうなっちゃうの?あの黒人の刑事に目を付けられてどうなっちゃうの?」
という見事なまでの期待感醸成ぶりに萌えた。
ということでシーズン2をみようかなと思ってるんだけど、その前にシーズン3の試写会のお誘いが.....。
新しいスカイラインが銀座4丁目のニッサンショールームに置いてあった。
この間、坂東眞砂子さんという作家の書いた「子猫殺しを語る」という本を読んだ。
なにやら2006年くらいにエラく炎上した日経本紙に載った「子猫殺し」というエッセイに対するオトシマエを付けるという意味な本なので、その炎上をあんまりというか全然覚えていないワタクシとしては、単にタイトルだけで手に取ったというオチだけど。
で、感想文をいつものように書こうと思うんだけど、これが重いんだよなぁ。
「飼っている人間のエゴで避妊手術をすること」と「動物としての本能を尊重して性交して子供を産ませること」のどっちを選ぶか?という命題に対して彼女は、「本能を尊重して性行為をさせて産ませる」ということを選んだ、という論理なんだろうと思う。
それに対して「とにかくコイツはオカシイ!」とか感情的というか激情的に反応してしまったのが、当時の状況だった。ちゃんと伏線として飼っている犬の出産と犬が産まれたばかりの子犬を噛み殺す話があるのに余りに脊髄反射的な炎上だったんだろうなと思う。
ただ、「自分で飼っている猫の本能を全うさせました。でも産まれた子猫は飼えないので飼い主が始末しました。」というのは、ある意味スジが通ってると思う。それが生理的に受け入れられないにしても。
で、なんでこんなに重いのかと思ったら、「猫はカワイイから殺しちゃいけない」という論理と「クジラは知的な生物だから殺しちゃいけない」という論理が何かどこかで繋がっている気がすることに気が付いたからだ。「蚊は害虫だから殺せ」とか「モルモットは実験用だから殺せ」とか「牛は食べるためだから殺せ」とか。どんだけ人間のエゴなんだよ、それってこと。
そういう意味では、飼うも飼わないもつまり殺すことも人間のエゴだ。だったら、せめてオトナになった猫が本能でしたいことをさせてやろうという意図は判る。
そして本のなかで年間に犬が15万匹、猫が25万匹も殺されている日本の状況を明らかにした上で、「私が数十匹の産まれたばかり子猫を殺すことを非難するなら、この25万匹の殺戮に対してはどうなの?」というこれまた重い問い掛けがあるわけだ。
個人的には、「人間が食べるために殺す」ことをスルーして「カワイイから、知的だから殺さない」というのは、やはりオカシイとしか言えない。
ただ、ちょっと仕掛けとしてこの本のあざといというか執念深いと思わせるところは、子猫殺しの背景とか日本の状況をちゃんと検証しているだけではなく、佐藤優というキリスト教信者で、ある意味異形のひとを対談相手に持ってきて、「やっぱ今の状況はおかしくね?」って言わせているところ。
キリスト教にとっては人間以外の生き物は神様が魂を入れてないので、殺すのは構わないんだそうで。なるほど、良く出来ているww
ということでやっぱりまとまらなかったけど、自分の子供に「なんで人間は動物を殺すの?なんで牛は殺してもOKで猫や犬はNGなの?」ということを考えるいい機会だったと思う。
もう少し、考えてみようと思う。それとペットの殺処分を考えるという意味でこれも読んでみようかなということでメモ。
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