まぁ、今更かよ!ってことですが。ユーザー5億人とかそういうのはおいといて。
なんでこんなに来そうな感覚がするのかをちょっと考えてみた。つまり、単に短い文章を載せて友達を呼んできてフォローしたりとかのもっと根幹にありそうな発想というヤツ。
とにかく現状はいろんなものが中に詰まっててまさにドン・キホーテというか圧縮展示というか何が出てきても驚かないというか、そういう感じなのがFacebookっていって間違いない。ツイッターよりも敷居は低いんじゃないかと思う。英語なのはナニですが。
で、基本的にはFacebookはSNSとして自分の状態を晒す機能なんてのはほんのさわりで当然メッセージもあるし、ゲームもあれば、イベントも作れるし、写真も載せられる。そして他のサービスとも連携できるし、ブログにパーツを付けてLikeさせることも出来る。Likeってのはいわゆるツイッターのふぁぼですな。あとコメント。外部のアプリから中の機能を利用することもできるし、個別のページを作ることも出来る。最近のグループなんてSNSとしては逆に当たり前なんだけどなぜか今頃できてる。で、それはなんでか!と。
そういう機能として作りこまれた部分に対して人間の属性を晒すこと、誰が誰を友達にしたか、何をLikeしたかという行動の情報を晒すことでアプリを使う側の人間がそれに反応するっていう、つまりアプリではなくてアプリの向こうには人間がいて、そいつらに反応させないと楽しくないって気付いたことなんだろうなと思う。だから反応させるために、経歴を載せさせたり、好きなバンドとか本を入れさせたりするわけだ。で、そういう人たちがある一定の量になると突然爆発したように人がやってくる、というのが今の状態なのかなと。
ワタクシが思うFacebookの根幹は、「アプリの機能を人間が代替する」ことつまり、アプリの機能に人間の行動を混ぜて完成する、そこに有用な「情報」が残る、という風に見切ったこと、かな。
ま、DECとかMicrosoftでグループウェアもどきな製品を扱っていた時に思った「利用者のやりたい事をメーカーが補完する」といういわゆる機能強化のサイクルをとにかくユーザー側が勝手に色々できるように、そして外部のサービスが連携できるように開放したというのもスタンスとしては大きいような気がする。
なんとなくだけどツイッターが「お知り合いだけのお茶会的な侘び寂び文学系の図書館」だとしたら、Facebookは「人がいろんな人がいっぱいいて何やってるのかダダ漏れなゲームセンター」な気がする。右見ても左見ても知り合いの知り合いがいろんなことして遊んでるっていう。
ただ、時間とお金がかかります。危険もあります。ゲームセンターなのでw
ということでワタクシのFacebookはこちら。http://www.facebook.com/yasuyukima
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