戦争という非日常が日常になったらどうなるのか?なんてことを「この世界の片隅に」と「ぼくたちの砦」という2冊(厳密に言えば3冊だけど)を読んで考えてみた。
この世界の片隅に(前編) (アクションコミックス) この世界の片隅に(後編) (アクションコミックス)「この世界の片隅に」は太平洋終戦の頃の呉に暮らすひとりの女性を取り巻く話。そして「ぼくたちの砦」は現代のパレスチナに暮らす10代の少年の話。どっちの本もどっちが正しいのか?みたいなイデオロギー的な内訳話は少なくてとにかく翻弄される人間を描いたという意味では似てる。
しかし、「この世界の片隅に」の戦争は主に空から降ってくる焼夷弾とタマに現れる戦闘機、「ぼくたちの砦」は眼の前に現れる戦車とヘブライ語を話す兵士、それに自爆テロや投石、というぐあいに舞台が違う。
「この世界の片隅に」はなんとなく判る人も多いと思うので、「ぼくたちの砦」のほうをちょっとだけ紹介するとパレスチナに暮らす4人兄妹の上から二人目のサッカー好きな男の子のお話。父母も健在、パレスチナはラーマッラーで電気屋を営んでるお父さんとしっかり者のお母さん、乱暴者な兄貴、まだ幼い妹二人、それに田舎に住むおばあちゃんと親戚たち、という家族構成でイスラエルの理不尽な占領(というか入植)の中でしっかり生きている。友達とサッカーしたりテレビゲームやったり。でも外出禁止命令とか戦車が広場に居座って警戒とか、もういわゆる近代都市戦の緊張の中で暮らしていると言ったほうが近いかもしれない。(ま、そんなに近代都市戦知らないんでナニですが)
このふたつを読んで、「あぁ、戦争ってこうやって日常の生活に降り掛かってくるんだな」と思った。パレスチナの少年にとってみたら気がついたら街が田舎がイスラエルによってどんどん侵食されてるし、道路で突然検問が始まってなんで通れないのか理解出来ない。そして尊敬する父親が裸にされて辱めを受ける場面を目の当たりにする。そして呉の物語ではどんどん物資が無くなって、ある日突然空襲が来る。山の向こうではでっかいキノコ雲が出てきて「あれは一体ナンだろう?」と。
戦争を後から色々説明することは簡単だろう。でもそこに居る人の実感は「わけわからないけど否応無しに巻き込まれていく」ってことなんだろう。ボードゲームのように戦艦とか戦車を操って楽しむゲームのような戦争もあれば、こういう目線で描写する戦争もある、っていう意味ではすごく似た目線で書かれた戦争の物語。
約60年の隔たりと日本列島とパレスチナとイスラエルという地理的な違いはデカイけど、眼の前のことに精一杯生きて行くという意味では変わらないんだなと思える両方ともステキな本だった。
ふと妄想したんだけど、こうの史代さんに今のパレスチナに行ってもらってマンガを描いてもらったらどんなのが出来るんだろう。意外とそういうアプローチのほうが声高に中東和平を叫ぶよりも効果が高いのかしんない。
最近のコメント