湾岸戦争といえばCNN。イラク侵攻といえばFox。なんかちょっと距離を置いて視てみるとアメリカのテレビ局ってけっこうエグイぐらいに偏ってない?っていう時に颯爽と登場したのがカタールの衛星テレビ局、アルジャジーラ。
この本、「アルジャジーラとメディアの壁」はなんだかそんなアルジャジーラのグローバルなメディアとしての姿勢にガツンとやられちゃったような4人の大学の先生が書いた本。実際には4日間の現地滞在で2日間しかインタビューが出来なかったらしくて、まえがきにも「テレビ局の成り立ちや活動を記述したものではない」と断り書きがある。
でも中の人のインタビューや現地取材に触発された考察はけっこう鋭い、というか熱い。
カタールの首長からとにかくアラビア語で発信するなら「国境を超えた話題性の高いものにしなさい」というオーダーを受けて元BBCのスタッフを中心に様々な国籍、人種を超えたスタッフで1996年に始まったのがアルジャジーラ。つまり、アラビア語でニュースを流すと決めた以上、たった140万人しかいないカタール国民(しかも相当量のアラビア語を話さない移民がいる)ではなく、アラビア語を話すイスラームのためのテレビ局、しかも宗教に極度に寄り添うこともなく、「一つの意見ともう一つの意見、アルジャジーラはその両方を提示する」というのがモットーになってるぐらいに公平さと公正さを重んじる姿勢が貫かれてるらしい。
アルジャジーラの取締役、ジャミール・アザール氏のインタビューでこんなことを言ってる。
アラブには、戦争も含めて社会に起こる出来事をありのままに報道しようとするチャンネルは、わずかしかありませんでした。その一方で、国家や政府によって操作されるチャンネルはいつでもありました。報道は操られ、検閲を受けていたのです。
(中略)
私の知る限りでは、アルジャジーラに一度も不満を示さなかった政府はアラブに一つもないと思います。なぜなら彼らは、そこに熱い息吹を感じていたからだ、と言ってもいいでしょう。言いようのない風圧を感じさせるようなメディアだと感じさせたのです。
つまりアラブ諸国の政府が嫌がっても公正さを、公平さを追求すると。それが「一つの意見ともう一つの意見の提示」なのだと。
そしてアメリカ政府によってコントロールされたテレビゲーム的な戦闘に対する報道をひたすら現場の生の映像と声によって伝えようとするその姿勢が素晴らしい。
そしてそのアルジャジーラとそれを支えるカタールの姿勢がアメリカが本来追い求めている自由と民主主義を体現してしまっているのが逆説的で面白い。まぁ、民主主義というほど実態は整っていない気もするけど。ちなみにカタールの真っ当さは、イスラエルのレバノン侵攻に対する安保理決議案の提出とかイスラエルのレバノン大攻撃中に行われた対イランのウラン濃縮停止を制裁条件付きで求める決議案に対してレバノン危機を放置して、何しとるんだ!と安保理15カ国中唯一反対票を投じたのがカタールだったというエピソードでも判るとおり、真っ当で実に骨太で素晴らしい。
最後に如何にアルジャジーラが「報道」に対して神経を使っているかというのを引用で引きながら終わりにします。つまり「テロとの戦争」「爆弾テロ」という言葉を使わないのは何故か?というお話。
この文は「アルジャジーラのアプローチ」という章からの引用で書いたのは中山智香子さん。
アメリカはいま、みずからが掲げる「正義」や「真理」を世界に押し付け、それを受け入れようとしない勢力や国々を圧倒的な軍事力によって「除去」するという姿勢をとっている。9/11直後の「これは戦争行為だ」「我々の側につくか、テロリストの側につくか、二つに一つだ」というブッシュの言葉がその宣言になった。
「テロとの戦争」とは、アメリカの世界戦略に対する暴力的な「ブローバック」を、その歴史的背景や根本原因を問わせないまま、国際合意の枠を作って軍事力で押さえ込むための、アメリカが打ち出した戦略的枠組みであって、現代世界全体の課題などではない。アルジャジーラはこの点でもアメリカの作るコンテキストに乗らなかった。BBCも9/11の直後に、この事件に関してワールド・サービスでは「テロリズム」という用語は使わないという方針を打ち出している。それは「主観的」用語であって報道の公平・公正さを損ないかねない、というのがその理由だ。
「テロとの戦争」という表現も「テロリスト」を絶対的「敵」として立て、そのようにして通常なら許されないあらゆる不当な戦争行為を正当化し免責する用語として機能している。だから、一人の「テロリスト」を抹消するためだとして、何百人もの人びとを殺すことが黙過されるのだ。権力による無法な暴力を野放しにするこのような用語に関して、メディアはもっとも警戒しなければならないにも関わらず、この用語に疑義を呈したメディアが世界に数えるほどしか無いということに、とりわけ9/11以降のジャーナリズムの退廃が露呈している。
アルジャジーラは、アメリカが「イラク戦争」とよぶ事態も、米英軍(およびその同盟軍)による「イラク侵攻」とよぶ。
どんな政府や武力勢力の「広報部」になるのでもなく、またお仕着せの構図に身を委ねることもなく、困難な第3者の位置を確保して活動を展開するアルジャジーラは、世界の主要メディアが失ってしまった報道の基本を守り続けようとしている。
薄くてサクっと読めるのでオススメです。
最近のコメント