1979年のイラン革命は一般的にはアヤトラー・ホメイニ師の顔が全面に出てくるけど、この本はそのホメイニ師の弟子で、当時相当混乱していたイランにおいてイスラームのあるべき姿を思索し続けたモルタザー・モタッハリー(1920〜79)という人に迫った本。
実際にはその頃のイランの事情とこの人の人生を重ねつつ、イスラームの考え方、神とは何か?人間とは何か?を因果論、存在論、史的唯物論とかを手がかりに解説する、そういう本。しかしこの人、モルタザーさん、相当なインテリですな。ちゃんと西洋の知識を咀嚼した上で批判してる。やっぱあの賢そうな顔は伊達じゃない。
しかし第1章から最終章まで読んでる人が落ちこぼれないように丁寧に文章を書いてくれてる感じ。ホントに優しく手をとりながらガイドしてる、そういう気配りを感じる。その辺は著者の嶋本さんの配慮が相当効いてる感じ。
信仰のややこしい話はそんなに多く無いので、イスラームってなんか怖いとか訳分かんない、という人も大丈夫、かも。
『「認められたい」の正体』にもあったけど、「結局、自分っていったいなんなんだろう?」という根源的な疑問を持つのは人間、当たり前だと思うんだけど、その辺についてこんな文章がある。長いけど引用。
「自己を知る」という問題は、モタッハリーのみならず、彼の師ホメイニーを含めてイスラームの賢者にとって究極の領域に属するという。イスラームの神秘主義者たちの基本認識は、「自己を知ること」と「アッラーを知ること」は相互に切り離すことができないということである。
自己を直観することは、神を直観することと切り離して考えることができない、というのがポイントである。この点にかんして『ナフジュル・バラーカ(雄弁の術)』に次の逸話が紹介されている。
人々がアリーに、「あなたご自身の神をご覧になったのですか」と尋ねたとき、答えて、「見てもいないものを信じるのだろうか」と言った。そして次のように述べた。
彼(=神)はけっして目で見ることはできない。しかし,心は心の信仰を伴って、彼(=神)の顕現をみるのである。
アリーっていうのは簡単に言うとイスラム教のエラい人ね。あぁ、身も蓋もない。イスラム教を始めることになっちゃったムハンマドの孫←間違えた。父方の従弟だった。ごめんなさい。初代のイマームね。
なんかイスラム教にとっての神っていうのは形もなけりゃ大きさもない、そら、目にも見えないし姿を形どった像も作れない、なのでモスクには十字架的な象徴が無い。そういう考え方が自分ってナニ?という疑問から「自己を知る=神を知る」というとこに着地するのね、きっと。
なにやら星の王子さまの「大切なことは目に見えない」っていうのが思い出されて仕方が無い。
入門としてはちょっとハードル高いかもしれないけど、イイ本だと思います。なにより丁寧なところが素晴らしい。
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