これはすごかった。ナニがスゴイのかといえば、その切り口と簡潔過ぎる文体が。
希望という名の絶望―医療現場から平成ニッポンを診断する元は「新潮45」という月刊誌に2009年から連載されていた記事をまとめた現役の肺癌診療の専門の医師、里見清一さんが書いた散文集、とでもいえばいいのか、でも冒頭の「はじめに」でも書かれているようにこの2年間に起こったことについて書いているはずなのに3.11以降の日本でいま、読み返してもけっこう鋭いことが書かれている。ちなみに平成版「白い巨塔」の監修もしてるので冒頭はそのハナシから始まるのね。
タイトルにもなってる「希望という名の絶望」という章ではがん患者の闘病に際して「頑張れ」が如何に鬱陶しい掛け声なのか、などというハナシが書かれてる。そういう時は「お大事に」という美しい日本語があるだろ!と。いや、確かにw
他にも「説明責任」とか「新型インフルエンザ」のハナシとか「正義が国を滅ぼす」とか「なぜ人が人を殺してはいけないのか?」という難問についてもいかにも臨床の医師らしい苦み走った言葉で語ってくれる。必ずしも解答というつもりでは無いのだろうけど。
必ずしも聖人君子ではない、いや、全く聖人君子ではない、でも自分の仕事について、死について、生きることについて真剣に考えて、でも悩みながら一緒に走ってくれる人がいる、というのはたとえその人が自分の側に居なくても、いいことだな、と思う。
こういう人がTwitter始めたら....と思ったけど、いまの荒地のようなアソコには残酷なのかもしれない。
ということで最後の方にあったこんな言葉を引用しておこう。
「医者とはなんだと思いますか」という禅問答のような質問を受けたことがある。私はこう答えた。医者とは、夜中に叩き起こされて患者を見送る存在である。もし、完璧な技術でもって、すべての病気を治してしまうような人間がいたら、それは医者ではなく優れた技術者である。そしてその存在はもちろん、「医者」なんかよりもずっと世の中に有益である。
これを読むとどんなに医療が進化しても治せない病気はあるし、だからといって人間が治せないからといって絶望することは無いんだ、と思える。ありがたい。
そしてこの本の一番最後の2ページ、その中に語られているがんで母親を亡くした10歳の少女との会話を読んでジワっと眼から液体が出てきた。ちきしょう、せんせい、やってくれるじゃないかぁ。
死と向き合う前に読んでおくことをオススメします。ま、人間いつでも死とは隣り合わせなんだけどね。
最近のコメント