なんとなく昨日書いた「パギャル消費」記事とダブってるんだけど、社会で生きていくのに仲間と上手くやっていく「発言力」(パギャル消費では「盛る」って言ってますけど)ことと仲間が不快に思う話題を避ける「沈黙力」が大事っていう部分に「ナニ、ソレいじめが発生する時の構造と似てる」って思ってしまったのでこっちの本もメモっておこう。
「なぜ、人は平気で「いじめ」をするのか? 透明な暴力と向き合うために」という本です。書いたのは香川大学教育部教授、加野芳正さん。
過去のいじめ事件(主に自殺にまで発展したモノ)からの考察と最近のネットいじめまで含んだその構造に関する視点、最後にいじめを無くすための方法論(エピローグ参照)を様々な参考文献と共に紹介している。高校生でも読めるようなシリーズのひとつとして書かれたということで文体も分かりやすいし、ハウツーモノとしても使える。素晴らしい。
パギャル消費でも引っかかった「仲間を失わないための処世術」的な部分に対して、なんとなくこんなようなことを言ってるにピンときた。「嘘もいじめも悪いことだ。でも嘘も秘密も悪いって全面的に言える?違うよね、嘘だって必要な時もあるし、悪くない嘘だってあるよね?じゃぁ、悪くないいじめっていうのもあるのかな?」と問いかけてる部分。仲間意識を大事にして身内のルールを守る、そのために努力する、できない時には罰則が発生するっていうのはこの辺、つまりいじめの発生というあたりとも地続きなんだなと。もちろん、単なる嫉妬や妬みがベースのいじめもあるので難しいんだけども。
子どもが社会に適応していく中で自分なりの嘘も秘密も必要だっていうのは親ならなんとなくわかるし、自分のことを振り返ってみても納得できる。第6章「いじめ問題と向き合う」にはこんな引用がある。
社会学者の見田宗介は「いつの時代もどこの国でも、子どもはいじめたりいじめられたりしながら育った。それが子どもや大人の集団の、有言・無言の批判のまなざしにひらかれていることをとおして、異質の他者や弱い者への感覚と関わり方を、少しずつリアルなものに深いものにとしていくことで、『いじめる』という関係を一皮ずつのりこえてゆく、この幾年もかかる過程が、それ自体、学ぶとか育つとかいわれていることの内実である」といいます。(見田宗介 『白いお城と花咲く野原―現代日本の思想の全景』
パギャルの沈黙力はこういうチカラが鍛えられてきた結果なのだろう、と。そういう意味ではスゴク社会的に鍛えられてるよね、パギャルって。
実際にこういう過程を通らないでそれこそカーリングペアレントのように子どもの目の前から全ての障害を取り除いて行ってもその子のためにはならない。かと言って、自殺に至るようないじめを見て見ない振りは出来無い。そのためにはシステムを構造を、つまりは学校も家庭も変える、変わる必要があるんだろう。
そういう意味では最後のエピソードにある一人でいられる能力が大事、友だちがいなくてもおかしくない、という提言(?)は大事かもって思った。
昔、子どもが公園で転んだ時にスグに抱き起こす親に「5秒だけ待って自分で立ち上がる機会を、親として見守る我慢を」みたいなことを感じたんだけど、そういうのってどの親子にも適応できる鉄板のルールなんて無くて、やっぱりケースバイケースでやるしかないんだろう。でもマニュアル的にコレはイイコレはダメみたい教則的なものに頼るんじゃなくて親として子どもとして自分で感じて自分で考えよう、とこの本を思えたのは良かったかもしれない。
自分で立ち上がれる子どもに育ってもらうために。
オススメしたい。特に若い人に。
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