なんとなく前に読んだ佐々木中さんの「切りとれ あの祈る手を」から名前だけは知っていた古井由吉さんの「人生の色気」を読んでみた。
文体がインタビュー形式で「あれ?これって佐々木中さんの切手と同じだ」っていうか佐々木さんがオマージュ的に模倣したのかなと思った。
佐々木さんの「切手」がとてつもなく力が入った内容だったのに比べると古井さんのほうは随分と力が抜けてて読んでてシンミリする。
そんな中で第3章の「年をとるのはむずかしい」というところにこんなのがあった。
読んでいて感銘は受けるけど、読み終わると忘れるというのは、自然な自己防衛でした。忘れてもまた本を読むんですよ。読んでもちっとも頭に入らないけれど、なんとなく嫌な感じがするという心地が、読書の醍醐味なんです。
文学という営みは、理解できるかどうか、問いかけてはいけないものです。理解がおよぶと不吉というものも、この世にあるものです。
第4章「七分の真面目、三分の気まま」には
エロスの力は取り戻さなければまずいんです。社会の存亡にかかわるんです。少なくとも、エロスがなくなれば小説はなくなり、文学がなくなる。理由はいろいろ考えられますが、とにかく現象としてはそうなります。
なんていういい言葉がある。とりあえず本は数読むんじゃなくて「なんだこりゃ?わけわかんない」っていう違和感のある本を何度でも読み返すっていうのがいいみたいですな。
ちなみに古井さん、どうしても「源氏物語」は好きになれなくて何度読んでも途中で投げ出しちゃうらしい。なかなか微笑ましいwww
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