オシゴト変わってから、スーツ着用ってのが増えてきた。まぁ、歳も歳なのでそういうのもありだとは思う。
ちなみにワタクシはこのCDが録音されたその日(25 Jun, 1961)に生まれました。もうすぐ50年やで、しかし。
閑話休題。本題はそれじゃない。
つまりTシャツとかポロシャツみたいに手に取ってそのままレジに進行、っていう買い物じゃないんですね、スーツって。ちゃんと試着して裾の長さを合わせてみたり、ジャケットのボタンを留めてみたり、歩いてみたり。そういうのって独りじゃできない。つまりお店の人にアシストしてもらわないと意味が無い。なので仕事帰りでごった返してる時はなかなかお店の人に相手にしてもらえないのね。ということでスーツ買うときは朝一番にお店に行って「どうですかね?これ」とか取っ換え引っ換えしながら選ぶわけです。ただし、靴は朝イチで買っちゃダメです。足のむくみが無いときに試着すると後々エラいことになる(余談ですが)。
で、思ったのはこういう密接な接客が必要な買い物はきっともっと先鋭化して残る、つまりもっとPersonalでIntimateな体験になる、って思うわけです。それはスーツもクルマも住宅もみんなおんなじ。そういう方向にある種の買い物、購買行為が向かっていった時にITってナニが出来るのかなぁとつぶあんぱん食べながら思ってるわけです、土曜の昼下がりに。
ここでまた余談。JavariっていうAmazonさん肝いりの靴のECサイトがありますが、あれってそういう接客を全く諦めてるサイトなんですね。とにかくコレは!と思った靴に対して自分の足のサイズの上下2つぐらいをオーダーする。届いたその5サイズの中から合うのを探す。で、残りは返品。送料も返品も無料ですから。そういう意味ではJavariは合理的な発想なんだけど、いわゆる体験的にはとても反対方向に行ってると思うわけです。自分で倉庫から持ってきて勝手に試着して自分で倉庫に返す、みたいな。それって違うよね、と。
PersonalでIntimateなショッピングという意味ではZapposのが近いかな。あっちはテレセールスが要はコンシェルジェ役だもん。でもあれ出来る会社、日本では少なそうだw
現代は「空虚な承認ゲーム」で溢れている。家族からも周りの仲間からも世間一般のみなさまからも「あなたはいいことしてる。いい子いい子。」って言ってもらいたい。でも、それを言ってもらうためだけに窮屈な、不安で溺れそうになるようなキモチになる。そういうこと、ありません?
そういう時に読むとイイと思う。山竹伸二さん著の『「認められたい」の正体』。720円なのにすごいお得な感じ。
新書って10pくらいで終わっちゃいそうな結論、つまり言いたいことは結局これだったのね、を延々と引き伸ばして結果的に分かりづらくなってることが往々にしてあるけど、この本はとにかく「承認してもらいたいっていうその欲求の正体はなんなのか?」を理路整然と、いわば詰将棋のように分解していて読んでて納得出来る感がハンパない。
いじめもうつ病もDVも根幹にあるのはコレだったのかなぁとなんとなくだけどスッと腑に落ちた。
あとインターネットもそうだけど、とにかく自分がイイと思うことだけを取り入れるようにするっていう傾向、それも根幹は「自分が信じてることだけを、イイと思うことだけを、聞きたい・読みたい」っていうのも、同調することで安心感を得たいっていう相手を認めつつ自分も「認められたい」という欲望だったのね、と納得。
身近な人間の考えばかりを気にするのではなく、他の考え方を持った人々の意見にも耳を傾け、書籍やテレビ、インターネットを介して様々な価値観を理解し、なぜそのような考え方をするのか、その理由(動機)を考えるようにすること。そして、そこに共通了解を見出そうとすること。その繰り返しが、「一般的他者の視点」による判断力を培ってくれるだろう。
だよねー。Twitterでもっといろんなひと、フォローしようかなぁ。たまにはテレビでも視ようかなぁ。
オススメです。
前にも書いたような覚えがあるんだけど、Ritchie HeavensのBob Dylanのカバー曲、Just Like a Womanが素晴らしいので。Gil Scott Heronの記事読んでなぜか思い出しちゃった。
いかにもシロウトの映像だけど、演奏が素晴らしい。アコギをココまで激しく弾く人もなかなか居ない。オープンチューニングだとこういう風にやりたくなるのかな。
はいはい。わかり辛いタイトルですが、言いたいことはこういうこと。
例の銀座アディダス店の女子新入社員が自社が契約してるプロスポーツ選手の彼女を思いっ切り貶すことで総叩かれ状態なわけですが、もう少し起こったことを分解してどんな変数が変わっていればこうはならなかったのか?を解きほぐしたい、と。
元ネタはこっち。J-CASTってのがちょっとイタイけど。
要は、
アディダスの女性新入社員が2011年5月17日深夜に「そいえば今日マイクハーフナーが来た。ビッチを具現化したような女と一緒に来てて、何かお腹大っきい気がしたけど結婚してんの?」と投稿したことから始まった。
ということで、整理すると、
「就業時間外」に
「アディダスの女性新入社員」が
「自社が契約しているプロスポーツ選手の彼女」を
「ビッチを具現化したような女」と
「鍵付きじゃないTwitterで書いた」
ということか。何か〜以降は特に問題とされていない(ハズ。ちがう?)。
(実際は彼女が妊娠してるかのようなことを書くのはどんなに丁寧な口調でもプライバシーの侵害っぽい気がするけど。個人的にはソッチの方がスゴいキモい。つか女性なのにデリカシーが足らない。やっぱ女性の敵は女性だ。あ、なんかハナシがズレた。)
確か前後のツイートがもう少し有ったような気がしたけど、まぁここでは忘れてください。ひとつの事例ということで。
これの反応をみてると
「自社の契約しているプロスポーツ選手に対してなんてこと言うんだ!謝れ!」っていう「商売の基本、お客さまを大切に」が沸点なんだなという人たちと「ちょwwwTwitterで書くなよw!」っていう「仲間内で云ってもイイけど、Twitterは無いわw」っていうツールのこと知らなすぎるのがイタイっていう人たちに分かれてるような気がする。
つまり
「アディダスの女性新入社員」が
「自社が契約しているプロスポーツ選手の彼女」を
「ビッチを具現化したような女」と
「鍵付きじゃないTwitterで書いた」
という赤の部分がヤバイと。
翻ってツール知らないのがイタイ派は
「アディダスの女性新入社員」が
「自社が契約しているプロスポーツ選手の彼女」を
「ビッチを具現化したような女」と
「鍵付きじゃないTwitterで書いた」
と青の部分が駄目だったのだ、ということになる。
つまり赤派は「商売の基本がなってない。こういうのは親の教育が悪い。アディダスも会社としてどうよ?」となる。青派は「そういうツールの怖さを知らないのがダメ。もっと個人のリテラシーを高めて」となる。
どちらの変数が、もしくはポイントが外れていたら、ここまでの炎上にはならなかったのか?を考えるとどう見ても「ツールの危険性をきっちり教える」ほうが手っ取り早い。つまり未熟な社員がお客様をDisるのは未熟なんだからしょうがない。だれだって一度ぐらいお客様の悪口ぐらい云ったこと、あるでしょ?ね?つまり
「アディダスの女性新入社員」が
「自社が契約しているプロスポーツ選手の彼女」を
「ビッチを具現化したような女」と
「日記に書いた」「晩飯の時に母親に愚痴った」「トイレで同僚に話した」
だったら炎上しなかったのではないか。そういう意味でワタクシは「とにかくネットのイロハは中学からきっちりダークサイドを教える」を是非提唱したい。だって家庭でなんか教えられないんだから。ちなみに教師にそれをやらせるのは酷なので、講師役はいましっかり自宅警備しているネラーの皆さんの莫大な余暇の時間の活用を期待したいところ。
ところでネットでダメ出しされてるのをみたら、たとえ自分が同じ様にアタマの中でダメ出ししたとしても、あえて公開の場所では言わない、ダメ出しの追い撃ちはしない、という人がいて、いい発想だなと思ったのであった。そういう意味ではスレッドが100いくとか実に「2ちゃんねる」らしい。どんだけ叩くの好きなの、君たちww 叩いてるだけじゃこういうの無くならないのに。
いやマジで。コレ面白かった。とにかく写真もサンプルのフォントもキレイで。こういう欧文フォントを日本人が作ってるのを知っただけでもスゴイよかった。みんな読んだほうがいい。立ち読みでもおkだから。
ちなみにBVLGARIがなんでUじゃなくてVなのか?とか書いてあるよ。
あとFuturaっていうフォントに関するハナシも面白い。都市伝説なのね。
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