最近、えxぺの勉強会サボってちょっとナニですが。最近、幾つかのセミナーやブロガーミーティングに参加させて頂いて「なんかつまんねーなー。なんでかなー。」と(改めて)思ったのでそれをちょっと纏めてみる。
対話と発見が無い
そう、ちょっと前まで「登壇者」な人って前に行って話はするけど、どんどん対話しようよ、どっちからの質問もアリだよねって認識があったと思うんだけど、もうすっかり「持ち時間でプレゼン」+「あとで質疑応答」というスタイルに戻っちゃった気がする。それをものすごく感じたのはこないだ八丁堀(新川?)の内田洋行さんで開催されたツイッターのセミナー。(ま、最近出不精なので他は違うのかもしれない)
全面のスクリーンにはネットからのツイートが流れているけど、会場とのやりとりがほぼない。まぁ、おまけのように質問の時間はあったけど。で、パネルディスカッションも持ち回りの説明をするだけでパネラー同士の対話が少ない。つか、4人も5人も居て全部で20分くらいしか無かったらそうなるよね。これ、単純に仕切り側の問題。ま、いっぱい詰め込んだほうが客寄せにはイイのかもしれない。芸能人呼んだり芸人さん呼んだりっていうのも「お前ら、ハナシ聞くよりこっちのほうが楽しいだろ?」っていう意図が透けて見える。
「対話しながら何かが現れる」という体験がほぼ無かった。まぁ、たった数十分のセミナーでそれは無理と言えば無理かもしんない。でも、せめて聴く側と話す側の双方が「お!」って思える瞬間が欲しい。そのためには「対話と発見」が必要。そしてそれって登壇者と参加者だけではなくて参加者同士でもあったほうがいい。だってそれなりに皆さん意見もあるんだろうし。ただ、それをちゃんとやるには聴く側もある程度のレベルが居る。それは後述。
今のセミナー形式の限界
これって平日夜間開催っていうヤツの限界なのかもしれない。やっぱり昼間仕事してアタマユルクなってる時にいきなり何か言えとかつらいのかも時間的に。それとスケールメリットを利かせようと思ったら、やっぱり40~50名程度は参加者を入れたいっていうのもある。つまり、少数のスピーカーと多数のリスナーという形式になるべくしてなった、と。
対話と発見はどうやったら出来るか?
これが問題。つまり「少数(スピーカー)+多数(リスナー)」に区分けしてたら難しい。では、どうやるか。ワールドカフェ的に参加者をマゼマゼしながら個々が意見を出す、という方法を現場で、そしてネットの向こうからはツイッターで集める、的な工夫かなぁ。今んところのそんな発想なんだけどなんかもう一工夫出来ないかな、と。
模造紙に書くのもいいんだけど残すのがすごい大変。似てる意見をまとめるのも面倒。ていうかデジタルなデータとして再利用することはリアルタイムでは無理。なので、でっかいキャンバスにテキトーに文章書いたり、図を書いたり、コメント追加したり、色着けたり、字をデッカクしたり、線を引いたりしたいわけ。
ポイントはフラットであること
ツイッターでなんとなく分かった「あ、これってタノシイ!」というポイントのひとつは、超絶有名な学者さんだろうが中学生だろうが140文字のツイートでフラットになれること、だと思う。それが誰だろうが「お!コイツ、イイこと言うじゃん!」の重みが一緒ってところ。そういう観点で「セミナーという状況」を見てみると決してフラットではない。それはそうだ、だって選ばれて登壇してるんだから、というご意見はごもっとも。でも、ツイッター的に「ひょっとしたらこの中からもっと面白いアイデア、見方、ツッコミがあるかもしれない」という発見をしようと思ったら今の方法では無理なんだろう。
あとで書くといったレベルの話を最後に。ある程度のレベルを参加者が持っていないと対話は無理、というおハナシ。それはその通りだけどいきなり自分の考えをまとめられる人ってなかなか居ない。でもそれは訊き方や出し方によるのではと思う。でも問題意識や最低限の知識は必要だと思う。なので、個々は参加する側をフィルターリングするしかない。これってえxぺでの問題でもあります、はい。
ITのリテラシーという点も、以前やった医療関係の勉強会の時に「一部の参加者がPCでバシバシキーボード打っててちょっと近寄り難い」という意見もあったくらいにフツウに操作してるだけなのに違和感がある人も居るわけで。コレばっかりはむずかしいかなぁ。手書きでメモ書いてスキャンすればイイのかなぁ。
なにかそういうデジタルな人とアナログな人が対話出来る仕組みがあるととてもヨロシイ。
ステキなツールが必要なのかも
そういう意味でリアルタイムでフラットに想いが交差するようなステキなツールがあれば、いいのかな?なんて妄想する。トゥギャッターの時系列版ではなくて空間に自由に文字とか図形とか手描きのイラストとかネットから飛んできたツイートを自由に配置することができるようなツール、なのかもしれない。
そしてそのフリーな空間をシェアしながらだれもが対話と発見が現れる。そういう風になればなと思う、切に。その時にはもう「セミナー」なんて名前では表現出来ないのかもしれないけども。
などなど、ちょっと妄想乙でした。じぶん。
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