2001年の全米ベストセラー、「Peace like a river」の全訳。書いたのは、これが最初の著作となるレイフ・エンガー。邦題は、「ギボンの月の下で」。
父親と3人の子供たち、一番上の兄 デーヴィ、次男のルーベン、末娘のスウィードの不思議なロードムービー的な小説。主人公は、次男のルーベンで産まれつき喘息の障害を持っていて、彼が語り部として物語は進む。フシギなチカラを持っている父親に産まれたときから助けられたルーベンとルーベンから見ると父親と同じぐらい大人のデーヴィの成長をゆっくりとなぞっていくストーリー。
冒頭のハンティングのシーンとか冬のノースダコタという太平洋側の日本の温暖な地域に住んでいる人間には想像を絶する荒涼とした自然がバックになっているので、文字だけだとなんとなく自分的にはリアリティが無い。中西部の冬の厳しさっていうのを体験していないので。で、これもどっか似てるなぁと思ったのが、ジョン・アービングの「ガープの世界」の映画のほう。(小説のほうは読んでないので。読めよ>自分。)
あの映画も、人が死んだり、無残な事故があったりとかなり残酷な部分があるんだけど、なんか暖かな、それでいてザラっとした肌触りの作品だった。カシミアじゃなくて軍用毛布のゴツさと暖かさ。
で、今回は、ナニが書きたかったかというと、主人公のルーベンは意気地がなかったり、病弱だったりといわゆる物語の主人公としては、ぴったりのウツロエル性格なわけですけど、兄貴のデーヴィは、物凄く完成している感じの少年なんですね。特に西部とか牧場とかの大自然をバックにした物語の時に、早熟して完成してしまったと言ってもいい少年が出てくることがよくあるわけです。「ホース・ウィスパラー」に出てくる馬の調教師とかカウボーイ見習いの少年とかもそう。ある程度の年齢で既に出来上がっている。揺らがない。
デーヴィは、町の不良二人組が学校の清掃員をしている父親に懲らしめられた腹いせに妹のスウィードを車で連れ出してイタヅラした不良に対して、断固として怒るわけです。もう、静かに冷ややかに。許さないと。
結局、デーヴィは二人の不良が家に入り込んで家族に暴力を働こうとすることを予見して、ライフルを構え、見事に二人を射殺する。正当防衛でもなんでもなく殺そうとして殺す。しかも、それを全く後悔していない。そこから物語は急展開して読者はどんどん引き込まれていくわけですが、こういう自分の感じ方、考え方が出来上がっているようにみえる少年というのは、本当にいるんだろうか?と。ナニが彼をそう作り上げたのか?と。
この物語でもう一人の重要な役の父親は自分自身も結構、ウツロッタリしながら、病気になったりしてハラハラさせられるわけです。しかし、デーヴィは、超然とした存在として、その後もルーベンを見守っていく。アメリカの厳しい、どっちかというと暑いほうじゃなくて寒いほうの大自然がこういう少年を作り上げるのかなぁ。それとも馬という動物かな。
いわゆる物語を動かしていくには、ウツロウ主人公とそれを取り囲む脇役、という黄金律的なストラクチャーが必要なのはわかるんですけどね。その登場人物ってのはどれだけリアリティがあるのかなぁ。アメリカ人が考えるところの武道を極める日本人の青年なんてほとんどお目にかからない。そういう存在なのかなと。でも、居て欲しいなぁ。
物語自体は、フシギで残酷なのに暖かい話なんですけど、オカルトや超能力っぽさが全く匂わない奇跡としか言い表せない事象を淡々と書いているところに好感が持てる。こういうタッチ良いですね。読むなら感じが出る冬のほうが良いので、今、オススメします。
でも、ネタばらしになっちゃうけど、特別な力を持った父親が子供を救う、というのはスティーブン・キング大先生の「ファイアー・スターター」ですね。キングの作品の中では一番好き。また読みたいなぁ。あの作品でも馬が大事な役目をしてるんですよね。
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