スノードームの作者、アレックス・シアラーの「青空のむこう」という本を読んだ。
交通事故で死んでしまう男の子の死んだ後の物語。昔の友達とか先生とか家族に死後の世界から会いに行く、そこで感じるあくまで主観の、つまりハリーの感じることを書き記した物語。
死んじゃう主人公が書き残すという意味では、コニー・ウィリスの「航路」とも通じる世界だけど、小学生(だと思う)の視線から、すごく新鮮な感性がほとばしってる気がする。こういう、若さって気恥ずかしいぐらいだけど、好きです。
なんどもなんども涙と声(嗚咽ですねぇ。)が出てきちゃうぐらいユーモアと悲しさに満ちているんだけど、決して恐ろしくは無いんですねぇ。きっと最後の希望に満ちたエンディングで全てが許されるということかもしれません。
ただ、なんで「ムズカシイ本。」と書いたかというと、こんなに「死んでもちゃんと次があるんだよ!」って宣言されるとマズイ状況もあろうかと。
結果的にこの本では、「不慮の事故」で命を落とした少年、ってことになってますけど、いじめで悩んでる少年には読ませたくないなぁ。だって、この本ではキチンと生きてた時のいじめっ子といじめられっ子が折り合っちゃってたりするから。
この世からあの世、それから<彼方の青い世界>へと旅立っていくことが、ある意味、物凄く魅力的にに見えるから。だから、今の世界、というか状況から逃げたい人はこれを参考にしちゃうよねぇ。
というぐらい薄いのにイイ小説でした。装丁もキレイだし、オススメします。同じぐらい「薄いのにイイ」って言うと「カモメのジョナサン」ぐらい、かなぁ。でも、こっちが上。
なんか今日は東京芝浦電気サマ製のDynabookに不満タラタラなわけで。
なんかキーボードをガシガシ打つだびに、カーソルがちょっとワープして数行前のヘンなとこに入っちゃう。
こっちとしては、気分良く文字を入れてるつもりなのに、画面はメロメロって言う状況に。
きっと良く使う、C,J,K,Y,U,I,O,T,G辺りにヘンな機能が割り当てられてるのが元凶かと。
その度に、「あれ、キータッチが速いのかなぁ?じゃ、ゆっくりとぉ~。」とかやらないといけない。
しかもIBM(んもう、レノボですけど!何か?ってチャイナドレスの女の子に言われそうなぐらいの過去形ですけど。)のThinkPadじゃありえないぐらいにキーボードの左横に電源スイッチとかあるし。何で上じゃないの?
全角/半角のキーの位置が違うんだよ!って怒り狂っちゃう。はぁ~、若いね、まだ。>自分。
DECのころに「なんでPCは、Caps LockのとこにEscが無いのぉ?」って思ってみたけど、そんなレベルじゃないつーの。
つーか、いわゆる、マルチメディア系ノートブックなんてみんなこんなもんかぁ?
おかしいって。世の中さ、キーボード触らないで全てが終わるPCなんて無いんだぜ!
こうして、例の赤いポッチファン=ThinkPadヲタ、は諦めていくんだろうなぁ。
もうね、マジでMacBook買おうかと。ここまでPCのダサさを見せつけられたらさぁ。考えるよねぇ。
でもあっちはあっちで、地雷原なんだよなぁ。
これは日本語。メモ帳からコピペ。
これは日本語。これはWordからコピペ。
別にやらんでもいいことをやってくれるなぁ、WordとVox。「形式を選んで選択(HTMLじゃないフツーのテキスト)~貼り付け」がデフォルトでもいいのに。
しかも一旦、上のような属性になると直す方法が無い。フォント選べないし。古川さんのフラストレーションがよく分かる。
ちなみに古川さんのコメントは、これ。
それにしても、この改行、文字のアトリビュート、文字サイズの問題、なんとかなりませんかねぇ..入力途中の原稿を、Word,Outlook,この入力エディタでコピペしていくと、そのたびに再編集不可能なとんでもないHTMLスクリプトになってしまい、なおかつそれを描画するレンダラーの振る舞いが、それぞれ異なるというのは...問題でしょう? Vista、IE7+、Windows Live、Office12ではその辺りの整合性、改善されることを強く望んでいます。
前の記事がWordで書いておいてコピペしたので、ちょっとフォントが変。それが気に入らないのでテスト。
2001年の全米ベストセラー、「Peace like a river」の全訳。書いたのは、これが最初の著作となるレイフ・エンガー。邦題は、「ギボンの月の下で」。
父親と3人の子供たち、一番上の兄 デーヴィ、次男のルーベン、末娘のスウィードの不思議なロードムービー的な小説。主人公は、次男のルーベンで産まれつき喘息の障害を持っていて、彼が語り部として物語は進む。フシギなチカラを持っている父親に産まれたときから助けられたルーベンとルーベンから見ると父親と同じぐらい大人のデーヴィの成長をゆっくりとなぞっていくストーリー。
冒頭のハンティングのシーンとか冬のノースダコタという太平洋側の日本の温暖な地域に住んでいる人間には想像を絶する荒涼とした自然がバックになっているので、文字だけだとなんとなく自分的にはリアリティが無い。中西部の冬の厳しさっていうのを体験していないので。で、これもどっか似てるなぁと思ったのが、ジョン・アービングの「ガープの世界」の映画のほう。(小説のほうは読んでないので。読めよ>自分。)
あの映画も、人が死んだり、無残な事故があったりとかなり残酷な部分があるんだけど、なんか暖かな、それでいてザラっとした肌触りの作品だった。カシミアじゃなくて軍用毛布のゴツさと暖かさ。
で、今回は、ナニが書きたかったかというと、主人公のルーベンは意気地がなかったり、病弱だったりといわゆる物語の主人公としては、ぴったりのウツロエル性格なわけですけど、兄貴のデーヴィは、物凄く完成している感じの少年なんですね。特に西部とか牧場とかの大自然をバックにした物語の時に、早熟して完成してしまったと言ってもいい少年が出てくることがよくあるわけです。「ホース・ウィスパラー」に出てくる馬の調教師とかカウボーイ見習いの少年とかもそう。ある程度の年齢で既に出来上がっている。揺らがない。
デーヴィは、町の不良二人組が学校の清掃員をしている父親に懲らしめられた腹いせに妹のスウィードを車で連れ出してイタヅラした不良に対して、断固として怒るわけです。もう、静かに冷ややかに。許さないと。
結局、デーヴィは二人の不良が家に入り込んで家族に暴力を働こうとすることを予見して、ライフルを構え、見事に二人を射殺する。正当防衛でもなんでもなく殺そうとして殺す。しかも、それを全く後悔していない。そこから物語は急展開して読者はどんどん引き込まれていくわけですが、こういう自分の感じ方、考え方が出来上がっているようにみえる少年というのは、本当にいるんだろうか?と。ナニが彼をそう作り上げたのか?と。
この物語でもう一人の重要な役の父親は自分自身も結構、ウツロッタリしながら、病気になったりしてハラハラさせられるわけです。しかし、デーヴィは、超然とした存在として、その後もルーベンを見守っていく。アメリカの厳しい、どっちかというと暑いほうじゃなくて寒いほうの大自然がこういう少年を作り上げるのかなぁ。それとも馬という動物かな。
いわゆる物語を動かしていくには、ウツロウ主人公とそれを取り囲む脇役、という黄金律的なストラクチャーが必要なのはわかるんですけどね。その登場人物ってのはどれだけリアリティがあるのかなぁ。アメリカ人が考えるところの武道を極める日本人の青年なんてほとんどお目にかからない。そういう存在なのかなと。でも、居て欲しいなぁ。
物語自体は、フシギで残酷なのに暖かい話なんですけど、オカルトや超能力っぽさが全く匂わない奇跡としか言い表せない事象を淡々と書いているところに好感が持てる。こういうタッチ良いですね。読むなら感じが出る冬のほうが良いので、今、オススメします。
でも、ネタばらしになっちゃうけど、特別な力を持った父親が子供を救う、というのはスティーブン・キング大先生の「ファイアー・スターター」ですね。キングの作品の中では一番好き。また読みたいなぁ。あの作品でも馬が大事な役目をしてるんですよね。
DIMEの12/5号を立ち読みする。「ほぉ、メガネ特集ですか。そろそろ買い換えたいなぁ。」などと思ってみる。
で、最初は判んなかったんだけど、「このページに載ってるの、リーディンググラスだよなぁ」。でも、見出しが「ソーディング」になってるぞ!
「リ」が「ソ」になっちゃったんですね。こういう間違いを見出しでやるか?と。あんた、日本人か?と。
コピーも「ちょいシブ「ソーディンググラス」が男をアゲる。」しかも上には「若い貴男も」って。「貴方」でもなく「貴男」。
そうとう脱力しました、ハイ。
きっと夜の光加減がメインなんだろうけど。
ここまで、大仰におったてることはないんじゃまいか?だって、ビルの壁から支柱がはえてるんだよ。
なんか、これを作った業者さんは、大変だったんじゃないかなぁ。いろんな意味で。
広尾の裏のほうのマンションの注意書き。異様に生真面目~な管理人さんなんだろう、きっと。
「カチ」でもなければ「カチッ」でもない「カッチ」。
あ~、ホントにこんな音がするのか聴いてみたい!
最近のコメント