LAからの帰りの便で読み始めて結局、成田に着く直前に読み終わった「残酷な子供 グロテスクな大人」。
いじめに関する本を漁っているうちに、「どうして子供ってのはこうも残酷になれるのか?」と言うギモンから引っかかった本。
色んな本を引用しながら、「子供とは何か?」「少年とは何か?」「子供のまま大人になるってどういうことか?」ということを散文風に書いてる。「受験の解答書」風なものでは全く無いんだけど、引っかかるフレーズがいっぱいあるので、自分のためにメモしよう。
(ヨツアナカシパンは)「人生とは関係ない」
あらゆる精神異常の姿は、たったひとつの狂気がいかなる形に開花したかという違いに過ぎない。
子供とは、他人に理解されない物語を抱えたまま怒りと諦観とを並列させて生きていくしかない存在なのである。
(総合失調症から回復した患者に対して)「あなたは自分が病気をしたことを、よほどのことがない限り、口外する必要はないし、また口外してはいけない。なぜならあなたが体験したことはあなたの人生の大事な秘密としてしまっておかねばならぬものであるからだ。それはほとんど宝だといってもよい。宝をやすやすと見せびらかす人はいないだろう。
大人は秘密を心に仕舞ったまま生きていける存在であり、いっぽう子供たちは秘密を囲い込んでおけるだけの強固な自我を持てない存在と考えることが可能であろう。
(リンドバーグが死んだ)1974年といえば、音楽ではカーペンターズがヒットを連発し、「かもめのジョナサン」がベストセラーになったといういかにも腑抜けた年であった。
わたしはこの作品(ローベルト・ムジール『ぼくの遺稿集』)によって自分の精神をざわつかせる微妙なニュアンスや、取るに足らぬように思えても本当は重要な出来事を文字によって首尾よく紙の上に定着させ得る可能性を知った。
『歌のカードが50枚を越える頃、私はぼんやりと感じはじめた。ラジオ体操の歌があんなに恐ろしかったのには意味がある。二人乗りの自転車が眩しい生き物に見えたのには意味がある。女の子に口が利けなかったのには意味がある。自分の考えが自意識過剰な怠け者の妄想としか思えないことには意味がある。世界の不気味さにはすべて意味があるのではないか。どんな意味があるのか。具体的なことはまったくつかめず、世界は依然として気味が悪いままだった。だが、私は気付いたのだ。この不気味さには意味がある。(穂村弘『短歌という爆弾』 からの引用)
なんともまとまりがないけど、一言で言い表せない。そりゃ当たり前で一言で言い表せたらこんな300pにちょっと欠ける分量を書く必要もないわけで。
でも、ここで出てきた
ローベルト・ムジール『ぼくの遺稿集』、穂村弘『短歌という爆弾』、チャールズ・バクスター『安全ネットを突き抜けて』
は読んでみようかな。
元々、知りたかった「子供はどうして残酷なのか?」というギモンへの答えには少しは近づけたかもしれない。
パトリシア・ハイスミスの短編集、『11の物語』に収められている「すっぽん」という作品を紹介している。NYで母親と二人で暮らす11歳のヴィクターが母親を包丁で惨殺する物語。ヴィクターが母親を殺した理由は、友達に見せるって約束してたすっぽんを母親がいとも簡単に鍋に投げ入れて料理してしまったから。その夜にそして警察に捕まり、精神病院に連れて行かれても、どうしてやったのかは大人には判らない。
「彼はとてもおとなしく言われるままに何でもしたし、きかれたことにもちゃんと答えた。が、答えたのはきかれたことだけだった。すっぽんのことはきかれなかったので何も言わなかった。」
大人はわかってくれない、わかろうともしない。そしてヴィクターがやってしまったことの原因は「心の闇」なんていうステレオタイプなものでは決してない。おとなになるとなんでこんなに馬鹿になるんだろう。というひとつのことを分解して示してくれるいい例だとおもう。
大人であることとは何か。それは複雑さの中に機能するバランス感覚であろう。しかしそのようなものを姑息とか計算高いとか狡猾であるとしか見ることができないとき、あざとい「子供らしさ」がその対立的存在として析出してくる。しかもその子供らしさが、かつては自分自身にも宿っていたと言いつのるところに羞恥心の欠如がある。我々は見苦しくその場しのぎを重ねて生き延びていかなければならないのである。しかもその見苦しさは、子供時代から連綿として続いていたではないか。自分はアトランティス大陸における戦士の生まれ変わりであるとか、ムー大陸の貴族が転生輪廻したものであると信ずることと同じ水準において、無垢なる子供時代は立ち上がってくる。それを冗談として信ずることは勝手だが、わたしはあなたの先祖が天使であったなどどは全く思わない。山椒魚の末裔だとするほうがはるかに信憑性がある。
この世界は、探求されるに足るだけの構造や奥行きをそなえてはいるけれども、天使たちの住んでいた痕跡などはどこにもないのである。
「子供ってさぁ~。何だろうねぇ」という時の息抜きにお奨めします。
こっちもアフィを貼っておこう。
[いいですね] あくまでも私にとっては、ですが、大人は子供より豊かな感性を持ってるもんだと思います。
バカだったり鈍感だったりするのは歳だけ食ってて変な知恵がついちゃって大人になる勇気を持つことができないためにいろんなスイッチを切断して生きてる「子供」なんじゃないかなと思ってます。子供が残酷というより、残酷ゆえに子供、とも言えるかもしれません。
投稿情報: コーノ | 2006/12/11 13:55