追記:最近読んだ、「教室の悪魔」という本を読み終えて記事を書いた後にちょっと昔の記事を読み直してみた。で、この記事の下のほうに出てくる、蒲田智さんの引用に関して、「こんな空虚な言葉は無い」なんて書いてみたものの、文をよく読んでみれば、ま、そんなにおかしな言葉でもないんだなと思う。つまり、これを書いた時はどうやって責任を取らせるか?罰するか?に気持ちが偏っていたかが想像できるというわけ。
ただ、やっぱり単に休めばいい、とだけ言うのは片手落ちで、休んで何するのか?何をしないのか?を書かないとまずいともおもう。そういう意味で「教室の悪魔」はすごいハウツー本なのである。以上、追記でした。
芹沢俊介さんの書いた「ついていく父親」という本が、まるで瓦礫の中から鉄骨で出来た骨格をわしづかみに(けど丁寧に)掘り起こす様に、新しい家族、特に父親の在りかたを分析というか分解してくれて、そのあまりのショック(あ、知的ショックってやつね)にくらくらした覚えがある。
で、今回は『子ども問題』という本の中の「いじめという暴力の構造」という小論について書く。Vox経由のアマゾン検索では出てこないので本自体はここで。1995年発行だから、中に出てくる事件や事例がちょっと古いかなと思うが、かろうじて「あぁ、こういうことあったな。」と記憶の端に引っかかる。
「君を守りたい」が、いじめに対抗する水際作戦だとすると、この本にある「いじめという暴力の構造」と言う章は、いじめの構造を分解し、理解する非常に良く出来たテキストと言える。
- いじめが、異端なものを分離する際に起こるのではなく、学校と言う集団の更に細かな集団である「仲良しグループ」の中で起こっているという警視庁世田谷少年センターの担当者の指摘を引用して、ターゲットとなる個人をそのグループから離れないように制御しつつ、次第に、または急激にエスカレートする暴力である、と定義する。
- いじめっこが、その学校の中で勉強が出来たり、クラスのリーダー的存在だったり、教師の受けが良かったりすることが珍しくないという指摘。
- 教師が無意識に持っているであろう、「いじめられるような子供はいないほうがいい」、つまり、集団にあわせられないような子供を排除するような考え方があるという認識。
- 複数で行われるいじめがどうして罪悪感が希薄なのか、なぜなら自分だけではなくみんなでやってるから、という感覚を引き出した上で、「学校といじめの加害者たちのたくまざる共犯関係がここに生まれる。」と述べるところ。
どれも正鵠をついている。
この後に、タイトルにもした文章が出てくる。引用する。
いじめの発生ないし生成について、八ツ塚実「大きななりをした幼児たち」(少年育成 1994年12月号)が注目すべき発言をしている。いじめを「陰湿」という言葉で語ってもらいたくない、いじめの発端はむしろ「陽気」だというのだ。すくなくとも悪意や故意から出発する例は、比較的少ない。出発は「無考え」で、なんとなく弱弱しい存在を標的に選び、ひまつぶしにおもちゃにしはじめる。茶化す、ひやかす、辱める、ちょっかいを出し、おもちゃにする。それがやがてエスカレートしておどす、ゆする、小間使いにするなどのやり口に変わっていく。ここまでくると、よほどの外的な制止がかからないかぎり、悲惨な結末の下地が形成されてしまう。
この鋭い分析は、これまで大人たちが持っていた「陰惨ないじめ」というイメージを覆す。さらに
いじめの標的は必ずしも弱弱しい存在ではないし、いじめの手口も陽気さからしだいに変質していくのではなく、一気に酸鼻な世界をうみだしていくことが起こっているのだ。
と記して、状況が更に悪化していることを確認している。
最後に朝日新聞に載った識者のコメントとして蒲田智の言葉をひく。
「学校なんか、いくらでもやり直せる。けれども、命はたったひとつなんだから、絶対に死んではいけない。/いじめを解決するのは、大人の責任である。学校へ行っても、いじめられるだけなら、すこし休んでゆっくりすればいい。いじめらるのはほんの一時期である。/はやまってはいけない。死んではつまらない。」
こんなに空虚な言葉は無い。これじゃ、「いじめはなくならないから、おまえは転校するか、死んだほういい。」と言ってるに等しいと思う。お前は一体、誰の味方なんだ!って叱り飛ばしたくなる。作者もこれじゃ、救われないとコメントしてこの20pに満たない章を閉じている。
非常に冷静・冷徹にいじめの構造を分析してくれて、目が覚めるような感覚を覚えた。ただ、「じゃ、どうするの?」という方法論を提案してくれているわけではないので「君を守りたい」とあわせて読むといいかもしれない。
この文章が、いじめという樹海を進むための地図だとしたら、「君を守りたい」はその樹海を切り開くための大鉈ってとこかな。
文体が、非常にカタイ(というか漢字が多すぎ)ので、最初は抵抗がある、というか抽象的で判りにくいかもしれない。
でも、いじめを苦に自殺した子供たちの遺書を例に挙げながら、この厄介な犯罪行為の分析をすすめるその姿勢は、法医学者による検死解剖のよう。
冷静に「いじめ」を見つめたい人にはオススメです。(でもなんでこんなにいじめに反応しちゃうんだろうなぁ。)
こっちの本に関しては、また別途書こうと思ってます。
[いいですね] ぜひ読みたいと思います。
投稿情報: ゆーこ | 2006/11/02 01:54
[this is good] いじめって古今東西ありますし、これからもなくならないでしょうね。
大事なのは、どんなことがあっても「自分で自分の命を絶つことだけはしてはいけない」ということです。
投稿情報: Lucy | 2006/11/02 08:24
ぴっぽさん;これいいんですけど、なんせ読みづらい文体なので、美味しいお昼ご飯を一杯食べたあとなんかだと、爆睡しちゃいます。(ってか、しちゃいました、わたしは。)
Lucyさん:う~ん、なんか伝えたいことが伝わっていないヨカン。これに関しては別に書きました。
投稿情報: yasuyuki | 2006/11/02 11:50