何故かって言うとたまたま同時期に宮部みゆきの「名もなき毒」と東野圭吾の「嘘をもうひとつだけ」を読んでしまったから。
「名もなき毒」は前に読んだ事のある「今多コンツェルンの会長の娘を嫁にもらってしまったヤル気のな~い社内報編集者 兼 何故か事件に巻き込まれてしまう俄か私立探偵 杉村三郎」が主人公の2作目。
「嘘をもうひとつ」は「容疑者Xの献身」でも出てきた加賀という刑事が準主役の短編集。
全くもって比べるべきじゃないといえばその通り。でも、比べてみたいんだもん。
今回、東野圭吾が書く犯罪者というのは、いわゆる嘘をつくことが主軸となって物語が展開していくんだけど、準主役の加賀は単なるストーリーテラー、ま、俗に言う進行役、MCみたいな役割で極力、個人的な感情は出さないような演出となっている。更に言うと犯罪を犯してしまう人達に、より感情的な目線で接しているように感じる。つまり、「この人がこういうことをするのには意味があるんだよ」と。でも、最終的には加賀の華麗な種明かしで一件落着するのね。
で、宮部みゆきの「名もなき毒」は、編集部に紛れ込んだトラブルメーカーの女性が伏線となって連続殺人事件を解決していくという筋書き。
なにを比べたいのか!というと、主人公のキャラクターという部分でして。
宮部みゆきのほうは、どういう訳だか事件に巻き込まれやすい素人探偵、杉村三郎の目線で物語が語られていてあくまでも一般人、ひたすら平穏無事に生きていくことを信条とする極々ふつーのおじさんという部分を極力殺さないように、でも、巻き込まれるにはそれなりの理由があるという一端を丁寧に織り込んでいく、一方、東野圭吾のほうの加賀刑事は、それこそ謎解きの若き職人的な、ある意味、超人的な存在として存在し、犯人に対して(というよりも読者に対して)冷徹に謎解きをしていくと。
宮部みゆきがこのキャラクターを大事に扱っているなぁと感じつつも、一抹の計算高さ、つまり、「この後、杉村三郎さんは微妙な按配で事件を解決していくという役割を担っていくんだろうな」というある意味、安心感、つまりこの人は絶対に犯罪者にはならないし、ましてや死んじゃったりしないで続いていく、という感覚があるのに対して、東野圭吾のキャラクターの書き方は、「手紙」でもそうだったし、「容疑者Xの献身」でもそうだったんだけど、決して「全方位でいい人」を許さない厳しさがある。唯一の例外は、加賀刑事と「容疑者Xの献身」で出てきた大学の研究者(名前忘れた)だと思うんだけど、その彼にしたってどちらかというと感情移入を許さない、あくまでも非人間的な書かれ方しかされない。つまり、別にコイツじゃなくて誰でも良いんだよ、種明かしをするのは、と。そんなのよりももっと大事なのは罪を犯してしまうコイツだ!もしくは善良ぶってるけど一枚皮を剥げば、どす黒いものが滲み出てしまうコイツなんだ!と。
個人的には、牧歌的というか予定調和的な宮部みゆきワールドにもイゴゴチの良さとほのぼのとした愛情を感じてしまうんだけど、東野圭吾の人間を見つめるその厳しい視線に作者の烈しい熱情を感じてしまう。人間の悲しさ、醜さを書かせたら、一級品ですなぁ、東野さんは。
ちなみに今回の「嘘をもうひとつだけ」は短編集なので、東野圭吾の「謎解き理論解説集」的なテキストとしても使えるんじゃないかと。流石にミステリーの話の構造やらを研究している人はいないかもしれないけど。
もうひとつ言うと、ジョン・ル・カレという、悲しいスパイの話を書かせたら天下一品という小説家がいまして、これまた大好きな人なんですけど、この人の文章そのものを研究する、というのが英文学研究の一つのテーマになるぐらいに対象としては巨大なんですが、是非、東野圭吾さんにもそのぐらいに巨大な作家になって頂いて、老後の楽しみを増やして頂きたいと思う次第であります。
ちなみにどっちが良かったかというと今回は、丁寧に造られた吟醸酒を呑んでいる味わいの宮部みゆきの勝ち~。「嘘をもうひとつ」は、ちょっと短くて拙速な感じが否めない。比べる相手が悪かったか?というか、基本的に比べる意味無いし。全く。
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