ちょっと前に図書館から借りてて「う〜ん、重そうだなぁ」と開いてもいなかった「暴力は親に向かう」という、かなり具体的(衝撃的?)な題名の本を読んでみた。
でも、読んでみると思いのほか、軽いといっては失礼だけど、なぜか心地良い明るさのある本だった。何故かと考えてみると、グラフだの分析図だのが少ないことと、ややこしい心理学とかの用語が殆どなくて読み易いからだなと思った。それに事例がどれをとっても悲惨なはずなのにさらっと書いてある。悲惨さで読者を驚かそうとはしていないのね。
普通、教育に携わってきた人が書くと自分の過去を否定したくない的な無意識が働いてあんまり教育システムに対するフカボリはしなそうなもんだけど、この筆者はスゴいなと思った。
全体の流れを追うために目次を見てみる。
第一章 激増する家庭内暴力
第二章 奴隷化する親、暴君化する子供
第三章 『普通の子」が暴力をふるう理由
第四章 「勝ち組教育」が全ての根源
第五章 家庭内暴力とどう向き合うか
一章では件数とかの外側と事例に沿ってどうやって家庭内暴力が始まるのかを紹介し、二章で具体的な例を挙げ、「どんな家庭でも暴力は起こり得る」と解説し、三章で具体的に家庭内暴力に至る経緯を解説する、という所までで、この人が対峙してる事例の半端じゃない多さを思い知る。
三章で親に暴力を振るう行為に至るまでの過程を「家庭内冷戦」と表現してその段階を4つに分ける。
「肝心な話をしない」、「会話が無くなる」、「暴言を吐く」、「家庭内で腫れ物に触るように接触が無くなる」。そこまで行くともう暴力の突発、暴発はすぐそこだ、と。
そしてその段階に進んでしまう原因を「友達親子」という言葉に集約する。これはどうやら親として「断固たるNo!」を言わなくなった世代の発明品らしい。上から「こうしろ」と子供を押さえつけることが無くなり、「子供のしたいことをさせ、友達のように付き合う親」といういかにも「子供の自主性を尊重」しているように見せながら、無意識のうちに親のエゴ、「もっと良い学校、もっと良い会社」に入って「勝ち組路線」に乗って欲しいという親のエゴがどれだけ子供に影響を与えているのか。
それから、問題の第四章。この本の中でこれだけ強調しても足らないぐらいに強くハッキリ書かれている。日本を覆ってしまった「格差社会」で生き残って行くためには「勝ち組路線」に乗れ、そのために「勝ち組教育」が必要だという刷り込み。そしてそれに疑問を抱かない親、特に父親。子供のために良かれと思ってしていることが、結果的に子供を苦しめ、さらに自分や配偶者を暴力に晒してしまう。加害者だと思われた子供が実は被害者で被害者のはずの親が実は加害者だったという冷静な見方とそれを裏付ける様々な事例。
最後まであっという間に読めるけど、書かれていることはシンプルでしかもハッキリしている。特に第五章は「家庭内暴力」に対する具体的なチェックポイントや対処法が書かれていて非常にわかりやすい。
まず、「休戦」して親と子供を分離させ、「多様な体験」をさせ勝ち組路線以外にも選択肢はあるし、勝ち組になる人は一握りなんだと確認させ、「自分道探し」を人にやらされるんじゃなくて自分で始める。それにちゃんと注意事項までご丁寧に書いてある。ホントに丁寧でわかりやすい。
休戦というところで紹介されている事例、67歳の母親と離ればなれになった40歳の息子が暴力を振るうために母親を取り戻そうとする企みとして庭一面に真っ赤なカーネーションを植えて母親を待つ。それこそいとおしいおかあさんとでも呟きそうな顔で。そしてその姿に騙されて息子の元へ帰った母親を待っていたのは、更に激しい暴力だった。悲惨を通り越して気も狂わんばかりの執念と執着、そして親離れ・子離れ出来ない母と子の姿が恐ろしい。下手なホラーもシッポ巻いて逃げ出すような悪寒がする。
最後のほうにあった印象的な文章を引用してみる。263p
前に読んだ「家族力」とかとも通じる考え方だなぁと思った。インドの諺にこんなのがあるといって紹介するのがこれ。
前に読んだ斉藤学さんの「男の勘ちがい」という本にあった親の仕事という部分、
良い本でした。
反抗期を「やだなぁ」なんて感じてる親の人は是非、読んだほうがイイ。子供にとって反抗すること、失敗すること、親という壁にぶつかることがどんだけ大事かってのがよくわかった。
あと、「勝ち組」ってつくづく悪い言葉だなぁと思う。実際にはほとんど居ない、幻みたいなモノなのに。
普通、教育に携わってきた人が書くと自分の過去を否定したくない的な無意識が働いてあんまり教育システムに対するフカボリはしなそうなもんだけど、この筆者はスゴいなと思った。
全体の流れを追うために目次を見てみる。
第一章 激増する家庭内暴力
第二章 奴隷化する親、暴君化する子供
第三章 『普通の子」が暴力をふるう理由
第四章 「勝ち組教育」が全ての根源
第五章 家庭内暴力とどう向き合うか
一章では件数とかの外側と事例に沿ってどうやって家庭内暴力が始まるのかを紹介し、二章で具体的な例を挙げ、「どんな家庭でも暴力は起こり得る」と解説し、三章で具体的に家庭内暴力に至る経緯を解説する、という所までで、この人が対峙してる事例の半端じゃない多さを思い知る。
三章で親に暴力を振るう行為に至るまでの過程を「家庭内冷戦」と表現してその段階を4つに分ける。
「肝心な話をしない」、「会話が無くなる」、「暴言を吐く」、「家庭内で腫れ物に触るように接触が無くなる」。そこまで行くともう暴力の突発、暴発はすぐそこだ、と。
そしてその段階に進んでしまう原因を「友達親子」という言葉に集約する。これはどうやら親として「断固たるNo!」を言わなくなった世代の発明品らしい。上から「こうしろ」と子供を押さえつけることが無くなり、「子供のしたいことをさせ、友達のように付き合う親」といういかにも「子供の自主性を尊重」しているように見せながら、無意識のうちに親のエゴ、「もっと良い学校、もっと良い会社」に入って「勝ち組路線」に乗って欲しいという親のエゴがどれだけ子供に影響を与えているのか。
それから、問題の第四章。この本の中でこれだけ強調しても足らないぐらいに強くハッキリ書かれている。日本を覆ってしまった「格差社会」で生き残って行くためには「勝ち組路線」に乗れ、そのために「勝ち組教育」が必要だという刷り込み。そしてそれに疑問を抱かない親、特に父親。子供のために良かれと思ってしていることが、結果的に子供を苦しめ、さらに自分や配偶者を暴力に晒してしまう。加害者だと思われた子供が実は被害者で被害者のはずの親が実は加害者だったという冷静な見方とそれを裏付ける様々な事例。
最後まであっという間に読めるけど、書かれていることはシンプルでしかもハッキリしている。特に第五章は「家庭内暴力」に対する具体的なチェックポイントや対処法が書かれていて非常にわかりやすい。
まず、「休戦」して親と子供を分離させ、「多様な体験」をさせ勝ち組路線以外にも選択肢はあるし、勝ち組になる人は一握りなんだと確認させ、「自分道探し」を人にやらされるんじゃなくて自分で始める。それにちゃんと注意事項までご丁寧に書いてある。ホントに丁寧でわかりやすい。
休戦というところで紹介されている事例、67歳の母親と離ればなれになった40歳の息子が暴力を振るうために母親を取り戻そうとする企みとして庭一面に真っ赤なカーネーションを植えて母親を待つ。それこそいとおしいおかあさんとでも呟きそうな顔で。そしてその姿に騙されて息子の元へ帰った母親を待っていたのは、更に激しい暴力だった。悲惨を通り越して気も狂わんばかりの執念と執着、そして親離れ・子離れ出来ない母と子の姿が恐ろしい。下手なホラーもシッポ巻いて逃げ出すような悪寒がする。
最後のほうにあった印象的な文章を引用してみる。263p
親の本来の役割は、「子供を大人に育てる」ことです。そのために、「子供の価値観を育てる」ことです。親の役目は、子供を「勝ち組」にすることではありません。
前に読んだ「家族力」とかとも通じる考え方だなぁと思った。インドの諺にこんなのがあるといって紹介するのがこれ。
なるほどねぇ。さすがにどこに行っても人間を育てるというのは普遍的なもんだなと思う。「子供は、3歳までは、家の王様
7歳から12歳までは、家の奴隷
15歳を過ぎたら、家族の友達」
前に読んだ斉藤学さんの「男の勘ちがい」という本にあった親の仕事という部分、
これにも通じるなぁと。親の子育ての仕事の中には、規範の受け入れということが含まれていて、それをわかりやすく言おうとして私は「子どもに欲求不満を起こさせる(怒らせる)仕 事」と呼んでいる。「我慢させる仕事」と言ってもいい。この仕事は「子どもを抱く仕事」や「子どもと別れる仕事」と並んで親の三大仕事のひとつであると思 う。
良い本でした。
反抗期を「やだなぁ」なんて感じてる親の人は是非、読んだほうがイイ。子供にとって反抗すること、失敗すること、親という壁にぶつかることがどんだけ大事かってのがよくわかった。
あと、「勝ち組」ってつくづく悪い言葉だなぁと思う。実際にはほとんど居ない、幻みたいなモノなのに。
いつも「読んだ気にさせていただける」書評をありがとうございます(老眼が悲惨で活字離れしまくりなんです)。
以前「家族に依頼されて精神病院に該当者を入院させるのが職業」の人が書いた本の書評に「おかしくなるのはほとんどが性的に抑圧された家庭で育った人」みたいなことが書いてあって、その後タイトルも著者も忘れてしまってその部分だけが記憶に残っているのですが、性的かどうかは別としても勝ち組プレッシャーってのも何らかの抑圧を生むんでしょうね。もちろん抑圧とは「オモチャ買ってー!」「ダメ!」のことではないわけで、さらに、自分に性的抑圧がないと思い込んでる人の多くが単に赤裸々なだけ=端から見てると抑圧されてるようにしか見えない、だったりもするわけですが。
「大人に育てる」と言っても、yasuyukiさんがおっしゃるように「オコチャマ優先」のこの国には「大人のモデルとなる人」が存在するのがすでに難しくなってきてるとも思えて、40歳の子供とかってカンベンしてくれ!と心底気色悪いです。「勝ち組」なんて言葉を鵜呑みにするのだって価値観を確立してないオコチャマだからじゃないのかなぁ、、、それじゃよほど運がよくない限り大人は育てられん、と思うと暗いです。
投稿情報: コーノ | 2007/04/11 02:13
コーノさん、どうもです。
そうなんですよねぇ。大人が大人として認められないこの国のダメさ加減が何ともねぇって感じです。根は深いですよね。
投稿情報: yasuyuki | 2007/04/11 02:27
[いいですね] これ、読んでみたくなりました。子どもの自主性とか尊重とか、都合良く使われることも多い言葉ですよね。自分の子育ても、意識して振り返る必要があるんじゃないかと思っているところです。学歴重視の時代の子ですから;
投稿情報: afrokids | 2007/04/13 21:04
あのぉ、きっと親がどれだけ子供を突き放せるかが別れ目な気がします。
ホント、勘ですけど。
投稿情報: yasuyuki | 2007/04/13 23:22