Ericさんの教育再生会議の記事でちょっと考えてみた。教育ってやつを。
いままで、どちらかというと「ちびっこ5歳」つまり「目の前にある危機」(Clear and Present Danger , Tom Clancyね)として「いじめ」ってのを色々と調べたり、考えたりしてきたんだけど、どうやら、オカシな一人の個人が原因でそれがおこるわけではなくて、システムの問題らしいと思えてきた、のが今まで。どうやら、学校やらそれを支えてきた大人=自分たちの常識とか慣習、システムってのをなんとかしないと「こりゃ、無くならないなぁ」と思った。
で、Ericさんの記事で官邸主導の教育再生会議ってやつのWebサイトを見てみて、「こりゃ、だめだわ」って今更ながらに思った。安倍さんの仕切りで粛々と進んでいるのはとってもよろしいと思うんだけど、3/29の議事録が未だにUpされないってのはどうなのかなぁ。ま、それは瑣末な話なんだけど。
Ericさんの記事でちょっとヒントを貰ったのは、つまり、教育ってーのは、「教える側」(教師や学校の仕組み、それに教科書などなど)と「教えられる側」(生徒、児童)の二つという構成要素、なんてシンプルなモノではなくて生徒を中心に色んな要素がそれこそ原子核の周りを回る電子のように色んなオブジェクトが引っ張り合ったり干渉したりしながら、中心にある核を大きくしていく、というか核が育つのを助ける、というか全てのオブジェクトが大きくなる、豊かになる、という遠大な仕事なんじゃないか。
なので、平面的に
「学力が落ちた」→「朝早起きして百ます計算だぁ!」→「武道館で学力向上国民大会だぁ!」
「国を愛する気持ちが足らない」→「道徳の時間を増やせぇ!」→「週に1時間だぁ!」
なんてもんじゃないと。
で、色んな人が議論してたり、考えたりしてるんだけど、その議論の場で親と教師がないがしろにされている気がする。教師も親も最も子供に接している人間のはず。それを当たり前のように「学校で教える人」、「家庭で教える人」ってひとくくりにしている。教師だって色んな状況があって、うまくいったりダメだったりする生身の人間だし、親だって独りでノイローゼになりながら頑張っている人もいれば、塾だなんだでCoCo壱カレー全部アリみたいな人も居るように様々なわけだ。
子供には個性を伸ばして、自分らしくなんて言いながら、教師と親には「キチンと授業をさせよ!準備が出来なかったら残業しろ!」、「ちゃんと話をして躾をしろ!テレビばかり視させないで本を読ませろ!」なんてまぁ、都合のイイお話だな。フランスが徹底的に「大人優先」だとしたら、日本は徹底的に「おこちゃま優先」の国だと思う。
なので、どちらかと言えば、子供だけに注目した改革ではなく、もっと色んな教育の方法・状況を支えられる意識、常識をみんなが持つこと、そしてそれを支える具体的なシステム、学校とか塾とか試験制度とか地域の教育の場が大切なんじゃないかと思う。もっと具体的に言うと、30代の母親一人で小学校4年生を大学生まで育てられるシステムとそれを実現させる意識・常識ってことですな。
あと、やっぱり「お金」のことをもっと具体的に教えて欲しいなぁ。金融機関がやるTrading Roomの見学なんて意味無いと思う。それより、先生はどうやって生活しているのか、教科書はどうして自分のところにくるのか、学校の前の道はなんでキレイになっているのか、地震があったらボランティアはどうして(どうやって)助けてくれるのか、という身近でタイムリーで具体的なお金の流れを説明して欲しい。株式の話なんてもっと後で良いと思う。
世の中、基本の基本はお金なわけでその仕組みを知らないのは余りに片手落ち。日本の輝かしい歴史もいいけど、ちゃんと支えてきた裏方さんというか事務方さんの功績をもっと理解させるのが、世のサラリーマンである親たちの実情を知らしめる最も良いサンプルだと思うけどな。
などなど。まぁ、まとまらないので今日はここまで。
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