ゲド戦記の一応は最後の本、5巻目「アースシーの風」を読んだ。
これは一人の男の戦いではなく家族の戦いの物語なんだなぁとしみじみ思った。
「ゲドの戦い」ではなく、妻であり母であるテナーが息子レバンネンと娘テルーや友人たちと一緒に苦難を乗り越える。そしてその苦難とはやっぱり「生と死」の問題だった、ということだ。
これまで、1巻目の「影との戦い」で少年ゲドが大人になる過程を描き、2巻目の「こわれた腕環」で妻となる少女を解放し、3巻目の「さいはての島へ」で息子となるレバンネンと共に戦い、疲れ果てたゲドをテナーとテルーが癒す4巻目、「帰還」では,最後に娘であるテルーがテハヌーとして覚醒する。そこで遂にゲドはただの無力の老人となり、5巻目の「アースシーの風」で家族が友人と一緒に戦う、という話。
前にも書いたけど、やっぱりここでも「竜」が凄く大事な役回りで、人間に対して超然とした存在、でも竜も悩んでいるというところが明らかになって、人間と竜がお互い助け合って問題を解決する、というところがごく自然に描かれていて嬉しい感じ。竜は怪物でもなければ神様でもない。そういえば、この物語というかアースシーの世界には「宗教」というものが全く姿を表さない。なんたって「こわれた腕環」で神殿を地震でぶち壊しちゃうんだから、徹底してる。
あくまでも人間の力、家族の力を信じてるってことだな。
「死」という重いテーマには、テハヌーのこの言葉を引用しとこうかな。(348p)
「あたし、思うんだけど、」テハヌーが口を開いた。ふだんとちがう、やわらなか声だった。
「死んだら、あたし、あたしを生かしてきてくれた息を吐いてもどすことができるんじゃないかなぁ。しなかったことも、みんなこの世にお返しできるんじゃないかって気がする。なりえたかもしれないのに、実際にはなれなかったもの、選べるのに選べなかったものもね。それからなくしたり、使ってしまったり、無駄にしたものも、みんなこの世にもどせるんじゃないかなぁ、まだ生きている途中の生命に。それが、生きてきた生命を、愛してきた薆を、してきた息を与えてくれたこの世界へのせめてのものお礼だって気がする。」
そしてテハヌーは、母のもとから旅立って行く。そして息子は一人の大人として次の家族を作る段階に入り、妻はたった一人、ゲドのもとに戻る。この最終章、全てを解決する「再結集」が感動的なのに大騒ぎにならないところがイイ。これは映画にし辛いわと思った。
最後に。「ゲド戦記」って邦題を付けた人は本当に後悔した方がイイと思う。いわゆるダンジョンチックな冒険物語じゃないし(ダンジョンなゲームってやったことないのに雰囲気で書いてますけど)、一人のマッチョなヒーローの物語では全然無い。大体、力使い果たして普通の老人になるっていう設定自体がそれを否定している。戦いの物語ではあるんだけど、活劇じゃない。どちからというと「家族の成長の物語」だよな。
何度も書くけど、竜のカレシン、カッコ良すぎ。そして新たに登場したアイリアン、実写で映画化する時は、アンジェリーナ・ジョリーでおねがいしまつ。
さぁ、つぎは最後の「外伝」だ。
[いいですね] 私もちょうど5巻に入りました!
投稿情報: hyt | 2008/03/22 08:05
おぉ!Syncしてますねぇ。読んだら感想教えてください。
投稿情報: yasuyuki | 2008/03/22 08:53