こないだ、「よびすてのひと」ことZokerさんのとこでも「スゲェな」って思ったいわゆる「ノーガード戦法」。
俗にいう「ぶっちゃけ、もうお金が欲しくてたまんないんです!」みたいなことは、言ったもん勝ち。そう、だれよりも早く堂々と。
でも普通のひとはそんなことはまぁできない。特に独りでは。で、できないオトナは何するかっていうと
「え〜昨今の調査によりますと円ドルレートが異常な動きをしております。過去数年の平均からみてもこれは20%以上も暴騰しているわけです。そして他方、人口一人当たりの平均所得も数ヶ月間に渡って下落傾向が続いております。つまり、景気は落ち込んでいる、というのがワタクシの判断です。ということで、私におカネください。」
みたいな。
つまり、自分の主観じゃなくて色んなデータをみてみるとある傾向が出ていると。で、それを皆さん認めてくださいねー、このデータは正しいですよーと。客観的な数字なんだから、みんなオレのいうことを信用するんだ!だから、この口座にいっせんおくまんえん振り込むんだ!
みたいな。
で、長い時間かけてやっと読み終わったこれ。
「統計という名のウソ」という本。USの大学の教授が書いてるんだけど、色んなパターンで「統計」というのが数学じゃなくて社会の要請、もっというと人間の思いで造られているということを解説してくれてます。
だが、統計はすべて人々の選択と妥協の産物であり、そしたことによって形づくられ、制約され、ゆがめられるのだ。(14p)
近年好まれている尺度は、生徒の標準テストの成績だ。これはまったく筋が通らないわけではない。おおむね、教え方がよければそれだけ生徒はよく学び、ひいてはテストの点数が高くなるはずだと論じることはできる。しかしテストの点数は教師の成果の他に、生徒の家庭生活など多くのことに影響を受ける。それに、「最高の先生」の思い出は、標準テストの成績をどのように上げてくれたによるものではないだろう。(51p)
今日、人々を説得するとき、ほかの人たちへの気づかいよりもむしろ利己心に訴えることが多いのは印象的だ。(97p)
この世はとても込み入っている。どんなに手の込んだコンピューターモデルよりも込み入っている。だが、私たちが社会問題について語るときーー私たちが知っているような暮らしをおびやかす大きな問題について語るときさえーー複雑なものを単純化してしまいがちだ。(107p)
私たちが最新の研究について最新のニュースに暮らしを合わせようとしながらこのような努力するさまには、こっけいなところもある。酒を飲むのは体に悪いのか、それとも、毎日飲むのは有益なのか、あるいは、いいのは赤ワインだけなのか。(個人的には、ブラックチョコレートで寿命が延びるという考えにしがみついており、それが間違っているという説得力のある証拠があっても聞きたくない。)(111p)
要するに、どんな数字についても--どんなに権威があるように見えるものについても--問うべきことは、「本当か」という問いではない。むしろ、なにより重要な問いは、「どのようにつくりだされたのか」だ。ほかよりも権威のある数字があるとしたら、それは、そういう数字が生まれるプロセスに私たちが信頼を置いているからである。しかし、私たちが抱える問題について何らかの数字が魔法のように解答を示してくれると想像すべきではない。(163p)
米国人の間には、数字が論争を解決してくれる、反論を圧倒できる事実を提示してくれるという単純素朴な信仰が広がっている。この信仰はいうつかの疑わしい前提に基づいている。第一の前提は、数字は、本来、事実であり、議論の余地のない証拠だという考えだ。この考えは、さらに基本的な真理を無視している。それは、数字はすべて人間の努力の産物だということである。統計は社会的構成物だという事実から逃げることはできない。
しかし、だ。この命題そのものは、判っていたもののちゃんと書いてくれてありがとさんなんだけど、ちょっと訳者に文句を言ってみたい。
原文では"Advocate" カタカナではアドボケート、という表記が出てくるのだ。これをWebで翻訳すると「支持者」とある。でもちょっと意味合いがちがう気がするが、これがそのまんまカタカナで何度も何度も出てくる。きっと翻訳しづらかったんだろうと思うけど、さすがに普通の日本人は
アドボケート
って言われても判んないと思う。それこそ政治とかそっち系のジャーナリズム的報道とか文章にすこしは馴染んでないと。
ということで大学の教授さんが書いたんなら書いたで、ジョークが少ないのも判る気がするけど、せめてアドボケートは、逃げないでちゃんと訳して欲しかった。最低でも初出の時に注意書きを付けようよ。
本自体は面白かったんですけど。特に数字(というか統計)は、社会的な構成物(もしくは創造物)だって言い切ってるところが。
ちなみにこれは続編らしいので、最初のほうも読んでみようかなと。
あと、これは最近、2chで拾ったTVからのコピペ。
このグラフ、あからさまに青い折線の「支持しない」がずぅ〜〜〜っと上に行っていたのに、麻生さんになって逆転したのを、故意にわかんなくさせてんじゃないのかなぁ〜??ってことでちょっと話題になっておりました。まぁ、2chの住人がこの手の作為的な表現に敏感だってのを差し引いてもたしかにちょっとヘン。
ま、かように数字というものは如何様にでも表現できる、ってことだけどキモに命じておけばこの先生が危惧しておられる
統計リテラシー
も上がろうってもんだ。
今回の金融危機だって(もうちい複雑だけど)「ほらこんなに上がってます」にプロがみんなで騙されたのも原因だもんね。
「あなたの声は7人にひとりのホンモノのアルトだ」「いいえ、20人にひとりよ」と先日言われたんですが脳内で「で、分母は?分母なに?」という言葉がこだましてましたよ。
投稿情報: コーノ | 2008/10/25 00:12
7人にひとりじゃ日本にいったい何人居るんだよ!ホンモノさんは!?ってこってスな。
投稿情報: yasuyuki | 2008/10/25 00:39
そーそー。
それが日本人全員の7人にひとりなのか、アルトを名乗るクラシックヴォーカリストの7人にひとりなのか、ド素人ソプラノまで含めた歌う人の7人にひとりなのかなんなのかと言うとこなのよ。
あと「アルト」ってのも「アルト向きの声帯を持つ人」って意味だったりするとまた意味異なるし。
投稿情報: コーノ | 2008/10/25 02:23
統計に限らず、この世界のほぼ全てのものは幽霊みたいなものでもあると考える事もできますからね。信仰って大事だと思います。
投稿情報: yu_bo_ | 2008/10/26 08:38
昔のひとはいいこと言いましたねぇ、『気のもちよう』
投稿情報: yasuyuki | 2008/10/26 12:16