この間、坂東眞砂子さんという作家の書いた「子猫殺しを語る」という本を読んだ。
なにやら2006年くらいにエラく炎上した日経本紙に載った「子猫殺し」というエッセイに対するオトシマエを付けるという意味な本なので、その炎上をあんまりというか全然覚えていないワタクシとしては、単にタイトルだけで手に取ったというオチだけど。
で、感想文をいつものように書こうと思うんだけど、これが重いんだよなぁ。
「飼っている人間のエゴで避妊手術をすること」と「動物としての本能を尊重して性交して子供を産ませること」のどっちを選ぶか?という命題に対して彼女は、「本能を尊重して性行為をさせて産ませる」ということを選んだ、という論理なんだろうと思う。
それに対して「とにかくコイツはオカシイ!」とか感情的というか激情的に反応してしまったのが、当時の状況だった。ちゃんと伏線として飼っている犬の出産と犬が産まれたばかりの子犬を噛み殺す話があるのに余りに脊髄反射的な炎上だったんだろうなと思う。
ただ、「自分で飼っている猫の本能を全うさせました。でも産まれた子猫は飼えないので飼い主が始末しました。」というのは、ある意味スジが通ってると思う。それが生理的に受け入れられないにしても。
で、なんでこんなに重いのかと思ったら、「猫はカワイイから殺しちゃいけない」という論理と「クジラは知的な生物だから殺しちゃいけない」という論理が何かどこかで繋がっている気がすることに気が付いたからだ。「蚊は害虫だから殺せ」とか「モルモットは実験用だから殺せ」とか「牛は食べるためだから殺せ」とか。どんだけ人間のエゴなんだよ、それってこと。
そういう意味では、飼うも飼わないもつまり殺すことも人間のエゴだ。だったら、せめてオトナになった猫が本能でしたいことをさせてやろうという意図は判る。
そして本のなかで年間に犬が15万匹、猫が25万匹も殺されている日本の状況を明らかにした上で、「私が数十匹の産まれたばかり子猫を殺すことを非難するなら、この25万匹の殺戮に対してはどうなの?」というこれまた重い問い掛けがあるわけだ。
個人的には、「人間が食べるために殺す」ことをスルーして「カワイイから、知的だから殺さない」というのは、やはりオカシイとしか言えない。
ただ、ちょっと仕掛けとしてこの本のあざといというか執念深いと思わせるところは、子猫殺しの背景とか日本の状況をちゃんと検証しているだけではなく、佐藤優というキリスト教信者で、ある意味異形のひとを対談相手に持ってきて、「やっぱ今の状況はおかしくね?」って言わせているところ。
キリスト教にとっては人間以外の生き物は神様が魂を入れてないので、殺すのは構わないんだそうで。なるほど、良く出来ているww
ということでやっぱりまとまらなかったけど、自分の子供に「なんで人間は動物を殺すの?なんで牛は殺してもOKで猫や犬はNGなの?」ということを考えるいい機会だったと思う。
もう少し、考えてみようと思う。それとペットの殺処分を考えるという意味でこれも読んでみようかなということでメモ。
犬とか猿とか殺して食べているお国もありますが、それはこっちにおいといて...。
肉屋のギャランにいわせますと、『お仕事』として牛を殺します。この場合、「殺す」っていう言葉は違うような気がするんだけども...ま、それで、苦しむのはやはり可哀想なので一発で終わらせてあげるのが、これから加工されて行く牛さんへの礼儀だと言ってます。でも、子牛とウサギは殺せない...と言ってます。特に目を見てしまうともうダメだ...と言ってます。なのでお仕事の時は、目を見ずに、ちゃっちゃと済ますそうですよ。
投稿情報: Nana | 2009/04/20 07:49
うん、だから例えば「オレは牛を殺せない!でも猫とウサギはおk!」ってひとが居てもいいと思うんですよ。どっちも結局、エゴですから。
ただ、なんで食べられる牛は殺して良くて食べられない猫はダメなのか? 食べられるクジラは殺しちゃいけないの? じゃぁ、戦争で人を殺すのはイイのか?食べないのに? だったら人食い人種はイイの? なんてギモンであたまがグルグルしてるわけです。ちびっこに訊かれたら答えられない...。
投稿情報: yasuyuki | 2009/04/20 16:07