山口県は光市で起きた母子殺害事件の被害者遺族である本村洋さんと宮崎哲弥さんと藤井誠二さんの対談を本にした「罪と罰」という本を一気に読んでしまった。
事件そのものはかなり有名なのでここでは書かないので必要な人はググって。「光市母子殺害事件」でOK。
これを読むと、突然降り掛かった不幸な出来事を自分なりになんとか納得したい、死んだ妻と子供のために納得できる回答を手に入れたいと願うワカモノが、現在の理不尽なシステムやマスコミや学者に驚いたり、怒ったりしながら、結果的に個人ではなくて世の被害者遺族のために何か出来ないか?と精一杯努力した結果が赤裸々に書かれていてとても胸が痛かった。
事件を軸に「死刑は廃止できるのか?/すべきなのか?」「なんで加害者の救済には目が向けられるのに被害者が忘れられるのか?」「実名報道ってなんなのか?」「メディアの責任ってなに?」などなどのギモンを3人で話し合う、意見を交換する、という形式。
面白いのは3人とも同じ意見というのが実は多くないこと。
本村さんは裁判を通じて自身で学んだことやエンジニアとしての素朴なギモンをぶつけている。例えば、「死刑は犯罪の抑止力になるか?」という問いには「なる!」という考え。逆に死刑を廃止することで残虐な犯罪が無くなるのなら、死刑廃止に賛成する!とまで言い切っている。そしてなんで精神鑑定という方法でそんなに加害者のことが克明に分かるのか?という如何にもエンジニアらしい見方も。
宮崎さんは、死刑廃止には賛成だが、「死刑の意義は、被害者遺族の応報の意思に応えることにしかない」と言っている。これが個人的には一番シックリきた説明。一人しか殺さなかったら、無期懲役。二人なら死刑。こんな計算式があること自体がオカシイと思う。
で、色々引用したいところはあるんだけど、最初の裁判で「無期懲役」が出た後に「私がこの手で殺します」と発言して一気に注目されたんだけど、その判決が出た後の検事が本村さんを訪れて話をした下りがスゴく良いので引用する。
それから最終的には死刑廃止論者の弁護士がついて荒唐無稽な話を組み立てて、それが却って裁判官の心証を悪くするわけだけど、実は、あの「ドラえもんが〜〜」という弁護を始めたころに検察側はあまりちゃんとした質問をしていないのだ。つまり、言いたいだけ言わせておいて、「泳がせていた」、と。こう云うのは素人ができる芸当じゃない。それぐらいにタフな戦場なんだと思う。
とにかく、罪と罰を考えるモノスゴイ良いきっかけになった。本村さんも言ってるけど、死刑があるからこそ、人の命ってナンだろう?とそれぞれが真剣に自問するという機会を作るという意味で死刑には意味があると思う。
本村さん、お疲れさまでした。そしてこれからの人生、楽しんでください。
これを読むと、突然降り掛かった不幸な出来事を自分なりになんとか納得したい、死んだ妻と子供のために納得できる回答を手に入れたいと願うワカモノが、現在の理不尽なシステムやマスコミや学者に驚いたり、怒ったりしながら、結果的に個人ではなくて世の被害者遺族のために何か出来ないか?と精一杯努力した結果が赤裸々に書かれていてとても胸が痛かった。
事件を軸に「死刑は廃止できるのか?/すべきなのか?」「なんで加害者の救済には目が向けられるのに被害者が忘れられるのか?」「実名報道ってなんなのか?」「メディアの責任ってなに?」などなどのギモンを3人で話し合う、意見を交換する、という形式。
面白いのは3人とも同じ意見というのが実は多くないこと。
本村さんは裁判を通じて自身で学んだことやエンジニアとしての素朴なギモンをぶつけている。例えば、「死刑は犯罪の抑止力になるか?」という問いには「なる!」という考え。逆に死刑を廃止することで残虐な犯罪が無くなるのなら、死刑廃止に賛成する!とまで言い切っている。そしてなんで精神鑑定という方法でそんなに加害者のことが克明に分かるのか?という如何にもエンジニアらしい見方も。
宮崎さんは、死刑廃止には賛成だが、「死刑の意義は、被害者遺族の応報の意思に応えることにしかない」と言っている。これが個人的には一番シックリきた説明。一人しか殺さなかったら、無期懲役。二人なら死刑。こんな計算式があること自体がオカシイと思う。
で、色々引用したいところはあるんだけど、最初の裁判で「無期懲役」が出た後に「私がこの手で殺します」と発言して一気に注目されたんだけど、その判決が出た後の検事が本村さんを訪れて話をした下りがスゴく良いので引用する。
この辺りから本村さんの意識が変わってきたのだろう。変わったというよりもより明確になったと。つまり、自分だけが満足するのではなく同じ境遇の被害者遺族のために、という様に。それで「無期懲役」という判決が出た後に、検事さんが本当に真っ赤な目で、半分泣いていたような感じだったんですけども、「悔しい」と。「私も娘がいて、家族がいて、こんな鬼畜みたいなことをした人間を法が裁けないなら、法なんていらないんだ。本村さんは苦しいかもしれないけれども、検察は最後まで戦う。100回負けたって、101回もやってやる。だから今後も裁判で証言などをお願いすることがあるかもしれない。その時は検察に協力してほしい」と言うんです。そして、「本村さんも勉強してご存知のように、この国は判例主義なんだ。でもそれはおかしい。一個一個の事案を見て考えなければいけない。検察としてそういうふうには言えないけれども、あなたの立場なら言える。あなたは記者会見で、早く社会に出てほしい、この手で殺す、とい言われたけれども、法が裁けないというのはいけない。だから協力してもらいたい」というふうに言われました。
それから最終的には死刑廃止論者の弁護士がついて荒唐無稽な話を組み立てて、それが却って裁判官の心証を悪くするわけだけど、実は、あの「ドラえもんが〜〜」という弁護を始めたころに検察側はあまりちゃんとした質問をしていないのだ。つまり、言いたいだけ言わせておいて、「泳がせていた」、と。こう云うのは素人ができる芸当じゃない。それぐらいにタフな戦場なんだと思う。
とにかく、罪と罰を考えるモノスゴイ良いきっかけになった。本村さんも言ってるけど、死刑があるからこそ、人の命ってナンだろう?とそれぞれが真剣に自問するという機会を作るという意味で死刑には意味があると思う。
本村さん、お疲れさまでした。そしてこれからの人生、楽しんでください。
[this is good] It is simply ridiculous.
投稿情報: Jordan Browder | 2010/05/17 11:20