わー、またまた釣りのタイトルですみません。なんかタマタマ昨日の夜にBSプレミアムでやってた山田洋次さんが選ぶ日本映画みたいな番組で木下惠介監督の「二十四の瞳」という名作のディジタルリマスター版を初めて観ちゃったからそれの感想文でも書こうかなと云うだけのハナシです。
詳しくはWikipediaのココ参照。
戦前から戦後にかけて瀬戸内海の島の分校に赴任した高峰秀子扮する先生が生徒との年月を描くみたいなシンプルな筋書きなんだけども。とにかく高峰秀子カワエエとか静かに反戦を訴えるのがイイとか子役と大人の役者が似過ぎててカワイイとか風景がなんとも言えず素晴らしいとか笠智衆チョイ役すぎwとかいろいろ有るんですけども。
とにかく前半の呑気な風景とストーリーから比べて後半、高峰秀子先生、泣き過ぎる。だって戦死した夫から空腹のせいで柿を取ろうとして木から落っこちちゃう末娘に母親そして元教え子までバンバン死ぬから。そう、あのころはもっとカンタンに人間って死んだんだよな。(ちなみにワタクシも幼少の時に親戚の従姉妹が盲腸をこじらせてあっけなく死んだときはけっこうびっくりしました。ついこないだまで元気だったのに)
そして生きてる元教え子も奉公に出たり貧乏からカラダを壊したりしてとにかく悲しいの一点張り。もうワンワン泣くの。最後のほうにちょっとうれしいこともあるんだけど、そこでも泣きまくり。実際にはワンワン云わないけどw でも当時の観客にとってこの映画観て「泣くこと」でなんとなくちょっと肩の力を抜くことが出来たらそれはそれで良かったのかもしれない。そういうカタルシスが求められてたのかも。1954年って。
でも思ったのは、「こうやって理不尽なコトで知ってる人間が死ぬ」っていうことが、ものすごい規模で宮城とか仙台とかで起こってることなんだなと。この映画でもらい泣きしたワタクシはハッと気づいたわけです。しかもそれよりも悲惨なのは舞台となってる小豆島はとにかくキレイで何も変わらないのに今の東北は瓦礫の山、ということ。生き残ってる人にとってはきっと何よりも悲しいことでしょう。まぁ、東京は焼け野原だったのかもしれないけども。
ということで何が書きたかったかというと木下惠介監督、人が死ぬっていう辺りの抑えた表現方法が素晴らしい!ということじゃなくて、人が死ぬっていうのをもう一回ちゃんと自分に引き寄せて考えてみようっていう、まぁ、そういうこと。反戦とかじゃなくてね。
ちなみに映画のBGMが「仰げば尊し」のオンパレードなのがちょっとズルい。あれじゃ、まんま涙腺刺激モードだよ全くもう。
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