だいぶ前からの「中東、ってかイスラエル問題って今後の人類の行く末を左右するんジャマイカ」という直観に基づいてイスラエル&パレスチナ問題とかイスラームについて本を読んできたわけですが。
久しぶりにいわゆるそういう歴史とか宗教とかの分野からちょっと離れて大好きなジョン・ル・カレ先生の「リトル・ドラマー・ガール」を再読してみた。
内容は、売れないイギリス人女優がイスラエルの情報部に目を付けられて色んな偽装を施した上でパレスチナのテロ組織に潜入する、そしてターゲットである黒幕に近づいて......っていう単純なハナシなんだけども、実際に読んでみるとエピソードが複層的で語られない部分が後からフラッシュバックしてきたり細かいディテールが実はすごく重要だったりして、あぁ、これは、いや、これこそがジョン・ル・カレ先生だと思った。
だいたい、今リメイクの映画が話題の「ティンカー・テイラー・ソルジャー・スパイ」にしても先生のエスピオナージモノは色んな伏線が徐々に結びついて来て大団円に終わる、しかも終わり方が大団円というよりもすごく素っ気無くて一抹の寂しさすら漂う、というのが特徴なのだった(映画の方はどうなのかはわかりませんけど)。もう一つの特徴は善悪がそれほどはっきりしてないこと。見方というか見る角度によっては白にも黒にも見える。そういう光と影の境目みたいな部分を書かせたら、この人は絶妙だなと改めて感じた。
今回、久しぶり(20年ぶりくらい?)にこの本を読んで「全然、ストーリーを覚えていない」ということに気がついた。最後のシーンの印象はかろうじて残ってたけど、細かいエピソードとかがスッカリ記憶から無くなってた。それって思うにワザと印象に残らないようなそういう書き方があるのかな。
会話や独白に「」を使わないとか語りの主体がどんどん入れ替わるとかとにかく色んな情報(というか筋書き)が詰め込まれていて整理されていない。ワザと判りにくく書かれている。そういう技法なのだろうか?あと物語上の事実(例えば、爆弾テロ)に対しても5W1H的に整理しないところとか。
フツウの物書きさん的にはこういう文体はきっと非難されるばっかりで褒められはしないんだろうなぁと思うけど、先生の場合はもうこれがスタイルなんだろうね。
横文字の小説が読めないのは出てくる人の名前が覚えられないからって言う人は絶対に読まないほうがイイ。イスラエルの諜報機関の人なんか出てくるシーンごとに名前が変わったりするから、絶対に迷子になる。でもそこを抜けると素晴らしい味わいがあるのにねぇって思うんだけど。
ということでイスラエルとパレスチナの狭間で起きたであろう隠されたストーリーを味わうにはとても良い作品です。マジでオススメ。今読んでも意外と古びてないところが地味にスゴイ。
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