もう5年も前に「教室の悪魔」という本を読んで震撼したんだけど、同じ著者さんが書いたこれ、「震える学校 不信地獄の「いじめ社会」を打ち破るために」はいじめっていう現象がネットを使って教師にまで広がっているっていう恐ろしい事実を教えてくれたのだった。
前に読んだ「教室の悪魔」の記事はこれ。→ http://bit.ly/NNQN42
今回は単に教室のなかで生徒同士のいじめが発生するって言う話だけではなく、それが担任の先生にまで拡がってるということを事例から明らかにしている。そしてその対応も学校の管理職、つまり校長や保健室の先生にまで視野に入れて、もっとお互いを信じて情報をオープンにして怖がらずに前に進もうって提言してる。
前回と同様に最後の章が具体的なToDoリストになっていて、途方に暮れる学校関係者のための素晴らしいマニュアルになってる。こういう風にやるべきことを洗い出してそれを実践するっていうところが、ヘンな学者さんチックじゃなくて、さすが現場の人(著者の山脇由貴子さんは東京都児童相談所の児童心理司)だなと。
先生がいじめられるってホントに?って思うかもしれないけど、「あの先生、ちょっとエロくない?ワイセツぅ〜!」みたいなたわいない女子生徒の言葉がどんどんエスカレートして最後にはその先生を売春容疑で追い詰めるって生徒同士のいじめの発端と同じだし、ネットとマスメディアがやってるバッシングの形と相似形で、ひょっとすると感謝組織でも起こってる?って思わされる。あぁ、やっぱり「いじめ」って社会のミニチュアどころじゃなくてソノモノなんだなと。
事例はホントにいかにもそうだろうと思わせるものばっかりなので読んで貰えば良いと思うけど、副題にもなってる「不信」っていうのが今回のキーワード。自分以外のだれも信用できなくて相談できない、そうやって先生も生徒も壊れていく。それが当たり前になってひたすら我慢すれば、あと何年か過ぎればこれは終わるんだって言い聞かせる。結局、何の解決にもならないし、死んでいくだけ。とりあえずすぐに相談して、批判とか責任追及とかしないでまずはいじめを無くすことを先決に行動する。そういう部分が実にブレない。こういう強さが必要なんだよね。
「あとがきにかえて」にこうある。
私はどんな子どもに出会っても、感じることがある。
人間の心には、生まれた瞬間に、愛情で満たされなくてはならない器がある、と。その器には、親をはじめとしてまわりの大人がたくさんの愛情を注いであげる必要があり、その器から愛情が溢れた分が、まわりの人に向くのだと思えてならない。
この器は、満たされないと私たちの心を苦しめる。空っぽな感じが襲ってくる。それは空腹感や物欲、金銭欲に転化し、「空っぽ」を必死に埋めようとする。だから、私たちは心が満たされないと、やたらと食べたり、物を買ったり、お金を稼ごうとするのだ。子どもも同じだ。ある子は食べても食べてもお腹が空いたと言い続け、ある子は万引きをし続け、ある子は親のお金を盗み続ける。
やっぱりいじめは社会の縮図なんだよね。ということでオススメします。ついでに「教室の悪魔も文庫が出たみたいなのでそっちのアフィも貼っておきますね。
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