トリイ・ヘイデンの「檻のなかの子」について書こうと思う。
義父による児童虐待とその影響で話すことが出来ないケヴィン、セラピストのトリイ・ヘイデンの2年半に及ぶ復活の物語。
ハードカバーの宣伝文句にはとても扇動的な文章があって、つまり、とてもドラマチックなびっくり仰天するような結末がいかにもありますよ!みたいな風に思わせられる。そっち方面を期待するとがっかりするかもしれない。だって、ノンフィクションの世界じぁあそんなことは起こらないから。かなり訥々と物語は進みます。
実際にはトリイと並んで大事な役割であるケヴィンの治療を主軸に、トリイがビッグシスターを務めるネイティブアメリカンの口が異常に達者で家庭に問題を抱えるチャリティ、そして一緒にケヴィンのセラピーを行う同僚のジェフというふたつの伏線が絡んでくる複雑そうに見えて実はとってもシンプルな筋書き。
最初のほうでこれまで喋らないがために知能が発達していないと思われていたケヴィンが義父の絵を非常に緻密に書き上げる、しかもその姿は惨殺された死体の姿で、という辺りでケヴィンがどれだけ義理の父を憎んでいたのか、ケヴィンは知能が高いのではないか、ということが明らかになる。でも、この辺はある意味、想定可能な範囲なわけだ。しかしその後のエピソードで患者同士の喧嘩を止めないセラピーの女性スタッフの腕を折ってしまう事故を目の当たりにして、全くの他人である義父から受ける暴力だけではなく、自分や妹を産んだ母親が、その暴力を積極的に見逃して、母親が自分達よりその男を選んだというところが恐ろしいまでに打撃を与えたのだということが明らかになる。
しかし、そういう怒りは、すんでしまったことに対しての怒りは、何も変えないし怒ったところで何にもならない。前に進むしかないんだとトリイは励ます。
そういうふうに色んな段階を、苦しみながらケヴィンは治癒の階段を登っていく、というところが印象的。静かに静かに変わっていくことでよりリアルに感じさせる。
昔読んだ「くらやみの速さはどのくらい」という小説に出てくる自閉症の主人公の物語にも通じる非常に静かなヒンヤリとした空気を感じる。
で、新しい家を見つけて新しい友達を見つけて新しい家族を見つけて、新しい生活を切り開いていくケヴィン。
最後で自分の夢に想っていた「強い自我」であるブライアン、「普通に見える、強い人間、ブライアンになりたいんだ」とかつてケヴィンがいっていたブライアンにもうあなたは成れたのね、だから私達はもう別れるのね、というラストシーンが感動的だ。でもケヴィンは下で待ってる友達とプールに行くのが待ちきれない。すごく切なくて泣けた。トリイと別れてもケヴィンには新しい出会いも発見もあるんだと教えてくれる。そこに救いがある。
まるで「くらやみの...」のラストシーンみたいにちゃんと輪のように話が繋がることが見事。
でも、伏線も伏線、本筋とは直接関係無いんだけどジェフがロスに飛ばされちゃう時に言った台詞が秀逸。
「あのさ、おかしなところだぜ、この世の中っていうのは」ついにジェフが口を開いた。「もしぼくがナチしだとしたら、だれかがユダヤ人を憎むぼくの合憲的な権利を擁護してくれる。もしぼくがK・K・K団の団員だとしたら、だれかがぼくの黒人を憎む権利を擁護してくれる。おかしなところだよ、この世の中ってところは。憎むことには権利があるのに愛することにはなんの権利も無いんだから」
それだけだった。彼は行ってしまった。
こういう細かいところに反応してないでもっと本質的なところに感動しようよ。>自分。何でジェフがロスに飛ばされたかは読んでください。
ちなみに後書きは「男の勘ちがい」を書いた斉藤学さん。変に感情的にならない、いい後書きです。
[いいですね]
いいなぁー トリイ・ヘイデンの本、ずーっと読みたいんです(わたしは文庫専門)
最近、虐待関係の本でデイヴ・ペルザーの「It(それ)と呼ばれた子」が
やっと文庫になったので読めたんだけど
著者のうらみつらみを読まされている気分で読むのがつらくなった
温かい目で見守る文章だったら読みたいなぁ
投稿情報: あゆ母 | 2007/03/08 23:00
あゆ母さん、
>温かい目で見守る文章だったら読みたいなぁ
結構、イイ感じだと思う。どんなにケヴィンが荒れてもシッカリ支えてるって風で。
だいぶ進んだところで、「私はこの少年を愛している」とかに気づくとことか。
でね、素で書きますけど、最後の一行で泣いた、オレは。
投稿情報: yasuyuki | 2007/03/09 01:57