ご近所のコンビニで見つけたパイレーツオブカリビアンの前売りの宣伝。
ジョニーデップのジャックスパロウがキースリチャードの物まねだとしたら、これはいったい...?
大体、「見る」は「観る」だないかなぁ。
今日立ち読み(!)したSIGHTからの一言。
「鬱病は『心の風邪』なんていうけど、かかり易さではその通りだが、症状の重さでは『心の肺炎』である。」
みたいな一文。買っとけば良かった。
ジャネット・ウォールズの書いた自伝、「ガラスの城の子どもたち」は、内容の凄まじさ、つまりどんなに貧困がスゴかったか、それからどうやって抜け出たのか、という部分にだけ注目するとちょっと拍子抜けするかも。
昔読んだ、トリイ・ヘイデンの「檻のなかの子」もそうだけど、どれだけ凄まじいのか!みたいなセンセーションな部分よりももっと大事なことがある。どうやって4人の子どもたちが頼りにならない両親を愛しながら別れていくのか、その尽きない愛情の現れ方とその人間としての根幹が作られていく過程がとっても面白い。
作者は、NYのコラムニストでこの本が2005年3月の出版だから、あんまり自分とは変わらないぐらいの年齢じゃないかな。つまり、40歳前後、とするとこの貧乏加減は想像を絶する。その原因を作っている両親のぶっ飛んでるところは、如何にも自己を発見して持て余している戦後生まれ世代みたいな感じかなぁ。
読んだ後の印象がこれまた「檻のなかの子」と同じでとっても清々しくて、すくなくとも愛と憎しみが混ざっているというよりも、愛情物語としか表現出来ない。父も子どもを愛している、母も子どもを愛している、当然、子どもたちも愛している。でも「愛する」ということをいくつか重ねてみるとひとつふたつなら問題無くても、重なる、混じり合うことで、悲惨な状況を産み出してしまうことがあるという化学反応の難しさだろうか。
そんななかで母親が主人公のジャネットが家を捨ててNYに出て行く時に
「あなたがいなくなるから悲しいんじゃないの」母は言った。「あなたはニューヨークに行けるのに、私はここを離れられないから悲しいの。そんなのずるいわ」
と呟くところがとっても沁みる。結局、自分勝手なのはこの母親なのかもしれない。なんかこの結末、なんかの本でも書いたなぁ。一番愛情たっぷりに見えて、実は一番薄情ってオチ(これはオチじゃなくて事実なんだろうけど)は
どうなんだろう。追記:思い出した。これだ。
昨日は、幼稚園の定例の父親向けの講座があるのでそれに出かけてみた。うちの幼稚園は結構、熱心な父親が多いらしく昨日の講座にも70人くらいの父親が参加。普通は子どもが居るホールに30代〜くらいのオトコばっかり70人も居ると相当圧迫感がある。というか異様な光景らしく、講師を務められた関東学園大学の大豆生田啓友さんも「なんか、コワイですね...」だそうで。
タイトルが、「おおまめパパの子育てトーク ー 父親の出番って何だろう? ー」ということで今の子育ての状況、母性と父性、絵本の効用、などを約1時間30分くらい講演して頂いた。で、最後は周りの父親たちと車座で感じたことを話し合う。という流れ。
「以前に比べて日本では、母親が独りで子育てをする時間が非常に長くなっているという異常な状況」ということを冒頭で紹介。確かに昔に比べておじいちゃんもおばあちゃんもご近所のご隠居さん(死語?)なんてのも子どもには関わらなくなってきている。サザエさんの家族を例に「あれはとっても珍しい例」であると。
あと、絵本の読み聞かせが「とってもイイので皆さん、やってください」と。最後の話し合いでも「いやぁ〜、むかし自分が読んでもらった絵本が本屋に有って興奮してそれ買っちゃいましたよ!」というお父さんも居たりして、さすがに皆さん、意識が高いなぁと感心した。ちなみに僕は絵本を読んでもらったという記憶が殆どない。
その講座の中で「お父さん度チェック」というのがあったのでここで紹介したいなぁと。みなさん、是非、だんなさんに教えてやってもらってください。(お父さんの人はご自身でどうぞ。)
いいですかぁ!?
〜〜〜〜〜キリトリ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜キリトリ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜キリトリ〜〜〜〜〜
Q1:「あなたの子供の一番仲のイイお友達の名前を言えますか?」
Q2:「週に1回以上は時間を取って子供と遊んでますか?」
Q3:「あなたの子供の担任の先生の名前を言えますか?」
Q4:「子供と一緒に食事作りをしていますか?」
Q5:「子供が小さい時にうんちの取り替えを積極的やりましたか?」
Q6:「週に1回以上、子供に絵本を読んであげていますか?」
Q7:「子供と二人で1泊以上の小旅行に行けますか(行ったことが有りますか)?」
Q8:「週に2〜3回は妻から子供の話を聞いていますか?」
Q9:「ご近所にパパ友がいますか?」
Q10:「子供のために仕事の付き合いを断ったことが有りますか(断れますか)?」
(c) 大豆生田啓友 (メモを頼りに文章化してるのでちょっと間違ってるかもしれないけど...)
〜〜〜〜〜キリトリ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜キリトリ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜キリトリ〜〜〜〜〜
やったからどうって言うもんでもないので、結果は自分のムネにしまっといてください。ただ、自分を振り返るにはイイかも。
ちなみに僕は、4、6、8、9、10がダメ。もっとなんとかしないとねぇ。
昨日は、うちのちびっこさん、お昼から「ゲェ〜〜、ゲボォ〜」の連続でパンも大好きなリンゴ(フジ)もフローリングにぶちまけられた。(さわやかな日にすみましぇん。)
で、大事をとって今日は幼稚園お休み。朝飯もやわらか〜く茹でたうどんをちびちび齧るかのように食べる。どうやら、お腹いっぱい食べてまた「ゲェ〜〜、ゲボォ〜〜」がイヤらしい。
ということで(と、別段繋がりも無く)六本木ヒルズまで歩いてみる。と、な〜〜〜〜ぜか、光岡自動車さんの「大蛇」とかいてオロチと読むはずのスポーツカーが展示準備中だった。
黄色い色もあってこっちのほうがステキな感じ。黒だともろヘビって感じなんだけど、かといって黄色もフェラーリとかのコピーっぽい。いっそのことヘビ柄にすれば良かったのに。
ちょっとテールランプがXJ(のヘッドライト)に似てる?
最近、お気に入りのロティサリーチキン屋さん@広尾。ついこの間までもっと小さい軽トラだったのに最近、グレードアップした!でも、お値段据え置きで美味しい。チキンもいいけど、皮付きポテトが美味しいんだよねぇ。
どうせなら、「今どこに居るんですか?ハーフとポテトを17時に広尾でお願い!」とかリクエストを受けれるように電話番号を入れとくといいのになぁ。もしくは携帯からGPSで追っかけられるとか。
kinumi@samuiさんの記事のコメント(2007/04/22 1:33)にあった nangyuan dive resort というリゾートのサイトに行ってみた。(サイトですよ、現地じゃなくて。当たり前か。)
いかにもな手書き風なメニューのフォントがキブンである。しっかしこんなとこに暮らしたらホントにボケるなとおもう。でも行ってみたい。行ってオオボケにボケてみたい。
でもkinumi@samuiさんの記事のほうがずっと雰囲気が伝わってきてイイ感じ。どうしてここのサイトはその良さをちっとも伝えられないんだろう?もったいない。
で、最初に開いたURLはご多分に漏れず、Flashのムービーちっくなものが出てくるはずで、「お邪魔ならSKIPしてね!」ってリンクが下にある。でもその「今やってます」の英語が... orz。
たった2年だけだけど、アメリカに住んだことがある。そう、例のレドモンドの会社。
で、その時にこれまた例の阪神淡路大地震ってのがあった。地震で周りが「おい、大丈夫か?」とか「寄付したいんだけどさ」とか色々言ってくれるのはホントにアメリカ人のいい一面だなと感心したんだけど、それ以上に「Kobeってのはどこ?」とか「昔もスゲーのがあったんだよな」とかから、段々「ところでニホンってさぁ...」って話になる。
感覚的な話でホントに申し訳ないんだけど、一度、日本を出て海外に暮らすと「日本」っていうものを自分のなかで「客観的に捉えてそれを他国語で表現する」という作業がかなりの頻度で発生する。
例えば、「江戸時代って〜のは西暦で言うと1603年から1867年ね。300年にちょっと足らないか。で、明治の前は慶応と。」なんてこと。それから当然だけどその土地の習慣やらルールやらを自分が住んでいた頃の日本と比べるという作業も、これまた頻繁に必要になる。それをやらないと地元民に「なぜ?」って訊かれた時に理由を説明出来ないから。当然、地元のルールを理解するにも必要だし。
で、これは前置き。あぁ、長い。何が言いたいかというと、相当のパーセンテージで海外に居る人は日本好きになるんじゃないかと。出てみて初めてわかるその良さ、みたいな感じで。昔、出会ったヨットの先生は、「海外に暮らすと大体は精神的右翼になる。」と過激に申しておりました。その時にじゃ、何がそんなに日本ってイイんだろうか?
というのを外人にも説明出来る簡単なリストが無いかなぁと思っていたところにこんな雑誌が出てきた。
これはいつか海外出張の時に成田で買った雑誌。赤坂見附のちょっと北にある文芸春秋さん出版の「私が愛する日本」という特別号。去年の8月号だから、約1年ぐらい前か。
その164pに鈴木孝夫さんという慶応の名誉教授の方の記事が有る。「日本人よ目を覚ませ この国の美徳を知るための五つの視点」という7pの短い論文と言ったらいいのかな。そこに挙げられていた5つのポイントが面白かったので引用してみる。
一、日本はその長い歴史を通じて、外国と戦争をした期間が世界で最も少ない国である。
「特に17世紀の初頭から19世紀後半までの250年近くも続いた、いわゆる鎖国の時代は日本人がまったく外国に進出しなかったのに、その間ヨーロッパ諸国はそれこそ世界中を我が物顔に荒らしまわっていたのである。そして歴史地理の教科書などで大航海時代などどなぜか穏やかに呼ばれている(略)」
二、国のあり方が千数百年も不変である。
これはホントにそう。世界最長不倒だと思う。
三、日本は奴隷制という人間を家畜として売買し酷使する社会制度を、ただの一度も持ったことが無い珍しい国である。
アメリカが偉そうに「奴隷解放」を宣言したところで元々やってないほうがずっと偉いに決まってると。
四、日本は世界で最も詩人の多い国である。
ま、素人の俳句やら川柳好きの数だけじゃなく、色んな形式があるのがいいと思う。それもそうだけど、落語なんてのもスゴイ。だって職業としてのコメディアン(英語的に言うとだけど)が代々名を継いでいるだよ。寄席が出来たのが、1798年の江戸だよ。これってどうよ>アメリカ人。
五、日本は驚くほど宗教について寛容であり、これは今後の世界のモデルになりうる。
ご近所の青山墓地の例が挙げられてるけど、あそこには仏教式から神道、キリスト教まで色々だと。うん、しかもそこで春は花見だしwww。
今日は、土曜日。天気もソコソコでお外にはこの陽気を楽しんでいるちびっこがイッパイ。お散歩も気持ちイイ。
なのに、明日が選挙ということで、
「○○○区のみなさま、地元出身の××△△でございます。明日の投票日に向けて最後のお願いにやって参りましたぁ!あとひといき、セイイッパイ戦っております!!」
って、うるさい。マジで。しかも、別にあんた、戦ってないから。
いわゆる、一般常識でいうと、「戦う」ってボクシングとかサッカーとか野球とかって相手が目の前に居て、
「お!なぐったな、こんにゃろ。こうしてやる〜」とか「あ、そこにくるか、じゃあこっちはこれで!」とかの相手に対して何かする、結果として相手を打ち負かす、というのが一般的な感覚なんじゃないか。
どうにも選挙というのは、最終的には票の数というもので勝った負けたが出るとはいえ、およそ一般常識的に見て戦いではないのではないか。同じ選挙区で定数以上の頭数から何人かがこぼれ落ちる。何とかそこに残りたい、というのが「選挙戦」という戦いなのであれば、
「おっ!だんな、どうしたんですか?こんなにお天気なのに。あら、タオル、持ってます?タオル。え、なんでタオルが要るんだって?いや、それはもうほら、だんな、水も滴るいいオトコってーのはだんなのためにあるコトバ。あ、お呼びでない。こりゃまた失礼いたしましたぁ!」
みたいな票もくれる相手をどれだけ持ち上げられるか?相手をどれだけ心地良くさせるか?という風に、客引きっぽくしてもらったほうがイイ。もしくは、
「みなさ〜ん、あのですね、いま、選挙カーでそこを通った□□さん。こういっちゃあなんですが、こないだまで駅前にいっつも自転車を放置してまして。ほら、証拠もここにあります。ね、そんな人にまかせられます?」
みたいに戦う相手をちゃんと特定して「戦って」欲しい。もっとマジメに言えば、どっかの広場にもで集まってキチンと「論戦」してほしい。そのほうがよっぽど投票のためにはなる。
どう見たって5歳のちびっこが「うるさ〜〜〜〜い」って言うぐらい不快なのにどうしてそれをやらないといけないのかと、ホントに問い詰めたい。そういう意味でもその時点、つまり政治家というキャリアが始まる時点で既に一般常識からは乖離している職業なんだろうなぁ。
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