約2年前に「父親たちの星条旗」という硫黄島の戦いをアメリカ側からみた映画の感想文をVoxに書いたんだけど、まぁ、今からそれを読み返してみると甘いっていうか浅いっていうか。
まぁ、しょーがない。それがその時の状態だったんだから、と思うしか無い。
今回、「散るぞ悲しき」という硫黄島の指揮官、栗林忠道中将の手紙を中心に書かれたこの本を読んだ。
散るぞ悲しき―硫黄島総指揮官・栗林忠道 (新潮文庫)この表紙に出ているおだやかな表情のひとが、あの壮絶な戦いを文字通り先頭に立って指揮していたんだと思うと人間というヤツはスゴいことが出来るんだなと思う。
この本、どぎつく書こうと思えばどれだけでも書ける題材、お涙頂戴で泣かせようと思えば、それこそどんだけでもダダ漏れに出来る題材を使って、そんな激情を抑えに抑えて見事に書き上げてる。
合理的に情勢を判断して最適な答えを出そうとする軍人としての栗林中将と、いつも家族を思い、優しく気を遣う父親である栗林忠道というひとをとても冷静に表現していると思う。
軍人としての栗林中将が、最後に書き送った辞世の一首が大本営で書き換えられていたという事実が出だしのプロローグでいきなり出てくる。それこそが著者がこの本を書く一番の動機だったんだなと判る。
栗林中将が書いたオリジナルはこうだ。
そしてその最期から49年後、1994年2月に天皇陛下が硫黄島に初めて降り立って詠んだのがこれ。
全体に散りばめられた栗林中将の手紙やその他の兵士の手紙からの引用がとてもリアルで心に迫る。あの時代にこんなにリアルで美辞麗句が無い普通の手紙を書いてくれたことに感謝しなくちゃいけないと思う。そしてそれをこんなに簡潔にしかも判りやすく纏めてくれた筆者に感謝。
例のヤツのもう一方の映画も観てみようかな。
感想文的に言うと文章の組み立て方がとても新鮮でスイスイ読めるし、暑苦しくない。「戦争もの、とくに太平洋戦争ものは苦手だなー」な人に是非おススメしたい。戦争の惨さを再認識するためにも良いのかもしれない。
パコもこれもどっちも泣けるなー、おい。秋の夜長だあぁあああ。
あ、うちのちびっこが小学校6年くらいになったら読ませようと思ってます。
そういえば、書き忘れた。例の旗を立ててる有名な写真の裏話。あの旗に使われているポール、あれがその辺に落ちてた棒だって知ってた? つまり米軍は旗は用意しててもポールは用意してなかったのね。
あの棒は、水を調達にするのに苦労していた日本軍が雨水を溜めるために作った貯水槽についてたパイプだった。海兵隊にとっては単なる残骸から見付けた鉄の棒、でも日本軍にとっては命をつなぎとめる大切な水を集めてくれるパイプだった。なにか皮肉というか、因果めいたものを感じる。
この本、どぎつく書こうと思えばどれだけでも書ける題材、お涙頂戴で泣かせようと思えば、それこそどんだけでもダダ漏れに出来る題材を使って、そんな激情を抑えに抑えて見事に書き上げてる。
合理的に情勢を判断して最適な答えを出そうとする軍人としての栗林中将と、いつも家族を思い、優しく気を遣う父親である栗林忠道というひとをとても冷静に表現していると思う。
軍人としての栗林中将が、最後に書き送った辞世の一首が大本営で書き換えられていたという事実が出だしのプロローグでいきなり出てくる。それこそが著者がこの本を書く一番の動機だったんだなと判る。
栗林中将が書いたオリジナルはこうだ。
国の為重きつとめを果し得で 矢弾尽き果て散るぞ悲しき
そしてその最期から49年後、1994年2月に天皇陛下が硫黄島に初めて降り立って詠んだのがこれ。
これを読むと「散るぞ悲しき」というタイトルにした意味が良く判る。これこそが栗林中将が伝えたかったことだったんだと。精根を込め戦ひし人未だ地下に眠りて島は悲しき
見捨てられた島で、それでも何とかして任務を全うしようと、懸命に戦った栗林以下二万余の将兵たち。彼らは、その一人一人がまさに「精根を込め戦ひし人」であった。
この御製は、訣別電報に添えられた栗林の辞世と同じ「悲しき」という語で結ばれている。大本営が「散るぞ悲しき」を「散るぞ口惜し」に改変したあの歌である。
これは決して偶然ではあるまい。四九年の歳月を超え、新しい時代の天皇は栗林の絶唱を受け止めたのである。死んでいく兵士たちを、栗林が「悲しき」と詠った、その同じ硫黄島の地で。(282p)
全体に散りばめられた栗林中将の手紙やその他の兵士の手紙からの引用がとてもリアルで心に迫る。あの時代にこんなにリアルで美辞麗句が無い普通の手紙を書いてくれたことに感謝しなくちゃいけないと思う。そしてそれをこんなに簡潔にしかも判りやすく纏めてくれた筆者に感謝。
例のヤツのもう一方の映画も観てみようかな。
感想文的に言うと文章の組み立て方がとても新鮮でスイスイ読めるし、暑苦しくない。「戦争もの、とくに太平洋戦争ものは苦手だなー」な人に是非おススメしたい。戦争の惨さを再認識するためにも良いのかもしれない。
パコもこれもどっちも泣けるなー、おい。秋の夜長だあぁあああ。
あ、うちのちびっこが小学校6年くらいになったら読ませようと思ってます。
そういえば、書き忘れた。例の旗を立ててる有名な写真の裏話。あの旗に使われているポール、あれがその辺に落ちてた棒だって知ってた? つまり米軍は旗は用意しててもポールは用意してなかったのね。
あの棒は、水を調達にするのに苦労していた日本軍が雨水を溜めるために作った貯水槽についてたパイプだった。海兵隊にとっては単なる残骸から見付けた鉄の棒、でも日本軍にとっては命をつなぎとめる大切な水を集めてくれるパイプだった。なにか皮肉というか、因果めいたものを感じる。
偶然ですね~私も以前、読みました・・・・。家族への手紙には子供たちへの愛情が込められていて、あの時代ではエライお父さんではなくて、やさしいお父さんという思いが伝わってきました。硫黄島での戦いは、最初から負け戦とわかっていても、日本を、家族を守るため、戦いを夜襲やゲリラ作戦を展開することで本土決戦を招かないよう、あるいはアメリカ軍を最後の最後まで翻弄し日数をかせいだ勇猛果敢な軍人さんだと痛感致しました。本当に頭の切れる方だったのですね・・・・時代があの頃ではなかったらと思うと悔やまれるほど惜しい方だったと思います・・・・・西 竹一中佐・・・・「バロン西」(男爵)も惜しいと思いました。。。
改めて太平洋戦争で散った英霊にご冥福をお祈りしたいと思いますね・・・。
投稿情報: atorakusion | 2008/10/31 05:32
こういうひとが居たんだってことを我々オトナはちゃんと伝えないといけないなと思いますよね。
しかし、その手紙の多さとこんなことまで!の気遣いの細かさに驚きます。たこちゃんへの手紙なんて読んだらマジ泣けますよね。
投稿情報: yasuyuki | 2008/10/31 07:10