「オスカー 天国への旅立ちを知らせる猫」デイヴィッド・ドーサ著という本を読んだ。
オスカー―天国への旅立ちを知らせる猫いわゆる「ホスピスって末期治療でしょ? 癌の。」というのがまぁ、フツウの素人の知識かもしれない。この本を読むまでそう思ってました、ハイ。
この本は、ロードアイランドにあるステアー・ハウスという認知症を患った末期患者を看取るためのホスピスケアの施設で起こった奇跡のような話をそこの医師が本にしたもの、なのです。
そう、このオスカーはもうじき死にそうな患者に寝ずの番をするんだそうです。
実際に読んでみると「このオスカーってネコはこんなことができるの!」とかいういわゆるお昼のワイドショー的な話ではなくて、認知症の末期という、人間性が、なんてカッコイイ言葉で誤摩化しちゃいけないな、「かつて知っていた最愛の親という人間」が壊れていく最期を、どうやって快適に尊厳を持ちながら過ごすか、看取るか、という辺りの苦悩と事例を丁寧に記録した物語りだった。
しかし病院に猫が一杯居るのって良い風景だなぁ。特にこういう末期治療の施設には。犬よりもあうかもしれない。犬じゃあ、ベッドの上でゴロゴロ云って寝てるの、似合わないもんね。
結構、重い事象を軽い文体で書かれているのも良い感じ。翻訳してくれてる人、「栗林さつき」さん、のチカラかもしれないけど。
だいたいこの先生も重い病気を騙しながら、今日一日を精一杯生きているんだという辺りのリアリティが清々しい。
猫好きにはおススメ、でもいつか介護とか認知症とかに遭遇しそうなみなさんには特におススメしたい本。
この本は、ロードアイランドにあるステアー・ハウスという認知症を患った末期患者を看取るためのホスピスケアの施設で起こった奇跡のような話をそこの医師が本にしたもの、なのです。
そう、このオスカーはもうじき死にそうな患者に寝ずの番をするんだそうです。
実際に読んでみると「このオスカーってネコはこんなことができるの!」とかいういわゆるお昼のワイドショー的な話ではなくて、認知症の末期という、人間性が、なんてカッコイイ言葉で誤摩化しちゃいけないな、「かつて知っていた最愛の親という人間」が壊れていく最期を、どうやって快適に尊厳を持ちながら過ごすか、看取るか、という辺りの苦悩と事例を丁寧に記録した物語りだった。
という詠み人知らずな名言を随所に挟みながら、オスカーに関わった人のインタビューを通して人が人で無くなっていく過程を周りの人間がいかに対応していくのか、人間の最期ってどう有るべきなのか?を考えさせられる。そしてオスカーの行動が「どうして?」とかの下衆な詮索無しに、「こういう動物が居てよかったね!」的なアッサリ加減で紹介される。そう、猫の話ではないんですな。「犬には飼い主がいる。猫に使用人がいる。」
しかし病院に猫が一杯居るのって良い風景だなぁ。特にこういう末期治療の施設には。犬よりもあうかもしれない。犬じゃあ、ベッドの上でゴロゴロ云って寝てるの、似合わないもんね。
結構、重い事象を軽い文体で書かれているのも良い感じ。翻訳してくれてる人、「栗林さつき」さん、のチカラかもしれないけど。
だいたいこの先生も重い病気を騙しながら、今日一日を精一杯生きているんだという辺りのリアリティが清々しい。
猫好きにはおススメ、でもいつか介護とか認知症とかに遭遇しそうなみなさんには特におススメしたい本。
[いいですね] 確かに最期の時には犬より猫が似合うかもしれません。
認知症の母が入居している施設(グループホーム)には、
底抜けに明るく、おバカなパグ犬がいます。
やかましいオウムも。
どちらも、最期の時には不似合いです。
あえて、そうしているのかも。
ターミナルもやってる施設ですが、
そういえば、彼らはどんな思いで入居者さんを見送っているのかしら。
他の病気だって同じだとは思うのですが、
認知症の場合、
心の壊れ具合と体の衰弱のスピードは必ずしもリンクしないので、
見てる側はなんとも言えない切なさがあります。
私もオスカーのように、母の最期の時を感じて、寄り添えるかしら。
なんて思いつつ、本、読んでみます。
投稿情報: かなえる | 2010/08/23 13:20