どうしても何かを書こうという気にならない。東京は相変わらず(ほんの少し、ガソリン買い占めとか生理用ナプキンが無いとかあるけど)だし、天気は寒かったり、暖かかったりするけど。
でも、あの日以来、何かが変わった気がする。
Twitterで派手にというか躁状態になったかのように電波を出してる学者さんも居るし、放射能やら東電のことを書きまくる人も居る。ちょっと時間をおいて眺めてみると、結構いいおトシの男性が逝っちゃってる気がする。だいぶ変わっちゃったね。
この際だから、原発は全部廃止!って叫びもコレはなんかの陰謀に違いない!って叫びも、もう耳にも眼にも入ってこないようになった。それだけ麻痺したのかもしれない。前なら「なんだコイツ!」ってカチンと来てたかもしれないのに。変わっちゃったのかな。
でも、たったひとつだけ変わらないのは、今もそしてこれからもきっと、東京に住んで生きて行くんだろうなという思いかもしれない。
「もうこの際、東京でモバイルワーク出来る人は関西に行くべき!」っていうのは暴論だ。それが適用出来る仕事なんてほんの一握りしかない。いつもアップルパイを買ってるコンビニもタマにどうしても行きたくなるラーメン屋さんもクリーニング屋さんもカフェもパン屋さんも不動産屋さんもお寺も床屋さんも学校もみんなそこに人が居るから成り立ってる。
ビルがもぬけの殻になったら、いつもお掃除してくれる人たちの仕事もなくなるだろう。
だから、いまこそ、いつものように働いて、ちょっと余裕が出来たら、お金を寄付する。それしかない。被災した東北産の品物を買う、整備されたら旅行に行く、そうやって貢献するそれが一番早いし効果的だ。誰だって寄付よりも自分の仕事で自分の食い扶持をまかないたいと思ってるに違いない。だから、被災した土地の仕事が成り立つように経済を回したほうがイイ。そう思ってる。
そうやってすこしづつ、何かを我慢したり、ちょっとだけはしゃいだり、笑ったり、泣いたりしながら、東京で生きていく。そう、最後にお別れするまでね。
あぁ、結局、何も変わってないのかもしれない。生きていこう、変わらずに変わりながら。
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