スゴ本オフでダンコーガイさんが教えてくれた「アイの物語」の続編。タイムパラドックスモノとしてはスゴイ秀逸!とか内輪ネタがちょっと..とか評価はいろいろでしょうが、ワタクシとしては
「ここまでカラダを張ったストーリー仕立てでロボットというか人工知能についての愛を語った本は無かったんじゃないか!」
という辺りを書いてみます。
まず設定がリアル過ぎる。リアルと言うか出てくる地名、会社名、事件の名前、人名がリアルに今この世にあるものが使われていて、言ってみれば「身も蓋もない」。でもそこまでしないと自分が書いた本(「アイの物語」とかね)を出すことも出来なかったし、自分を題材に切り刻む(文字通りストーリーの中で自分が破滅したり、自殺したりするのです)ことが出来なかった。
ではどうしてソコまでしないと逝けなかったのか?それがこのタイトルに繋がるのです。
「アイの物語」で人間を置いてきぼりにして進歩する人工知能たちとそれをまざまざと見せつけられて苦悩しながらもなんとか歩き始める人間という未来の姿を描いた山本弘さんは当然、その先を書くしか無かった。
未来ではるかに人間よりも論理的で知能が高く強力になった人工知能たちの次の段階を描くとすれば、どうするだろう?当然、過去に遡って人間を救いに行くだろう、そうするのが当たり前の結論だ、というのがもともとの始まりだったんじゃないか。
なぜなら人間を助けることに無償の喜びを感じる本能を植えつけられているのだから。物語の最後のほうで主人公の「山本弘」と対話するロボットのカイラがこんなことを言うのです。
「人間を保護するのが私たちの本能だから。『人間を傷つけてはいけない。また危険を看過することによって人間を傷つけてはいけない』・・・私たちはそのために創造されたの。人間を守ることが私たちの生きがい。人間抜きの文明なんて考えられない」
そう、未来で人間を保護するための根源的な欲求をもった存在として作られた人工知能・ロボットは、当然人間を護るために、考えるわけです。これまで以上に人間を保護するには何をすべきか?を。「自分たち」が生まれるまえに意味も無く死んでしまった人間たちを護ることだろう、と。
当然、タイムマシンを作って人間を救いに行こう!と考えるわけですね。そこから全てが始まる。様々な小ネタ(コミケで未来の自分が書いた本が売れなかった!とか)も最後のえげつない戦闘シーンも吹田市壊滅の描写もその一点を伝えるための段取りでしか無かった。
最後は「山本弘」との対話で人工知能・ロボットのカイラはいろいろ失敗したけど「もっと(人間に)愛されることを考えないといけない」といじらしくも、いや、実に論理的に冷静に失敗を恐れずに考える。それを非論理的かつ情緒不安定なイキモノであるところの人間が受け止める。
つまり、山本弘さんにとって「アイの物語」を書いた以上はここまで書かないと収まんなかったんじゃないでしょうか?人工知能とはなにか?ロボットとはなにか?何故にワタシはそれを愛するのか?を突き詰めるために。
そういう意味で「山本弘さんにとって愛すべき人工知能ならこうする」をカタチにしたのが、このちょっと変わったカラダを張った赤裸々な小説。そう、赤裸々な分だけ「アイの物語」よりも人工知能への愛に溢れてる。なので「アイの物語」を読んでから読みましょう。
それから技法的には「アイの物語」と同様に幾つかの多重構造になっていてストーリーの内側にストーリーがあるっていう辺りは持ち味だなぁと。ソフトウェア的には再帰呼び出し的な感触。Lispとか知ってるのかな?サスガにそれは無いかwww
ということで続編というか「アイの物語」の人の本とは知らずに手にとって読み始めたんだけど、スゴク良かった。女性のロボットの描き方が素晴らしい。ホント、愛に溢れてる。
未来から今の時代に人間を救いに来るっていうとコレを思い出した。あぁ、もう絶版なんだ、ガックリ。こっちよりも山本さんのほうが随分と愛に溢れてる。
それにしてももう少し覚えやすいペンネームにして欲しかったなぁ、山本さん。どう見てもこれじゃどっかのアナウンサーかプロ野球選手か切込隊長だよw(先に謝っとくwスミマセンw)
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