全米で「死ぬ権利」をめぐってモノスゴイ話題になったと思われるテリー・シャイボ訴訟、その前にもあったクインラン訴訟そしてクルーザン訴訟を通じで「死ぬ」ことは人間にとってどういう体験なのか?どうあるべきか?を問うた本、と書くと書いた人が弁護人だったこともあり、状況を説明・解説する事件ルポ的なモノを期待してしまう。
でも実際に半分はその通りでも、残りの半分ぐらいは歴史を振り返りながら著者自身の考えを振り返りつつ、これからの求められる「死ぬことの意義」を見つめ直すよいきっかけをくれる本だった。最後のホスピスに関する部分はもうホスピスの記事広告じゃないかと思わんばかりの内容だけど。全米ホスピス・緩和ケア協会の会長さんが前書きを書くわけだ。
本の一番最後に「では『死ぬこと』を自分らしく自分が納得できるように行うためにはどうしたらいいのか?」という問いの答えとしてホスピスが紹介されてるんだけど、そこにあるこんな文章を引用。
アメリカで初めてホスピスを設立したフローレンス・ウォルドは、次のように語っている。
「医学生が医学部で勉強を始める前に、看護学生が看護学部で教育を受ける前に、六週間をホスピスで過ごすこと、それが私の夢です。そうすれば、学生たちは患者や家族がまず第一だという実体験を得るでしょう。そして、その経験を、それぞれの学部に持ち込めるのではないかと思うのです」。
うんうん、こういう試みが実際に行われるのはスゴクいいと思う。やって欲しい。
しかしアメリカという国はキリスト教という宗教がちゃんと(というのも変な話ですがw)こういうネタには意見を出すのね。それが必ずしも良いとは言わないけど、人の生死を見つめる「宗教」としての役割をちゃんと果たしていると思う。
ちなみにこっちの本もオススメです。認知症の末期患者を看取る猫のハナシ。これも考えさせられたなぁ。
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