ホントに出遅れまくって今頃、スマッシング・パンプキンズを初めて聴いたおっさんです、こんぬつわー!
なんでかっていうとVELTPUNCHのベスト・アルバムのある曲にスマパンの名前が出てくるから。今聴いてるのはコレね。VELTPUNCHのベスト。スマパンは、うん、イイとは思うけど、いまはこっちのほうがお気に入り。
なんでこんなのを唐突に書くかというと、元ネタはコレ。|第40回:iTunes Store は日本で失敗しているんだよ。 で、これに関する感想をFacebookに書いたらコメントでの会話が面白かったのでメモっておこうかなと。
ポイントはココね。だいたい同意なんだけど。
自分が好きな、本当に応援したいアーティストとの関係の証としてのパッケージの役割は残り、音楽との出会いはストリーミングサービスで行われ、音楽ファンは月額課金の有料サービスに加入する。(ついでに言うと、権利者には再生回数で透明性のある分配が行われる)というのが、私のイメージする数年後の日本の音楽市場です。
つまり自分が好きなアーティストがちょっと先の時代にどうやってお金を儲けるのか?という命題に対して何がどうなれば音楽家は音楽で自立できるんだろう?というのを考えてみようかなと思ったのでした。
VELTPUNCHってバンド、轟音ギターとちょっとイミフな歌詞でこのベストも大層カッコイイわけですが、男性ヴォーカルと女性ボーカルが絡んでリズムが疾走してるこのThe Sweetestがとにかくカッコイイ。(え〜とヘンに演出に凝らないでライブっぽい動画のほうがイイとはおもいますがそれはさておきw)
で、グッズで儲けるとかコンサートで儲けるとかイロイロありましょうが、やっぱり音楽は音楽として楽しみたいわけで。ていうか音楽家に変な芸人ぽいことさせたり、文章書かせたりっていうのはなんか間違ってる。音楽を売る、音楽にお金を払うっていうシンプルな世界がCD無き後も続くとイイなぁとは思います。
そのためにはやっぱりストリーミングで好きなだけ聴けるサービスとアーティストに直接お金が届くシステムが無いとダメだろうなぁ。
この曲もカッコイイ。
ということでこのあんまり愛想の良くなさそうなバンドが「音楽だけで」生き延びていけることを願っております。こちらからは以上です。
昨日のスゴ本オフ&gommの代々木公園ピクニックで持ってきたひとがいて初めて読んでみたら、スゴイ面白かった「星屑ニーナ」。
アフィはコレです。
もうすぐ第3巻が出るみたいだけど、第2巻のあの終わりからどうするんだろう?という......それはさておき。
よく知らないのでググったら作者の福島聡さんのこんなステキなインタビュー記事をナタリーで発見。
http://natalie.mu/comic/pp/fukushimasatoshi
何がスゴイって「星屑ニーナ」そのものの話より、ネームの書き方とかコマ割りの工夫、視線の向かう先とか、マンガって作り手の工夫が積み重なって出来てるんだなぁと感心する。
以下の動画はネームをライブで描いてみるっていう無謀なココロミ。
テキトーに読んでてすみませんでしたw
ちなみに「星屑ニーナ」は題に書いたとおりに星屑っていうアンドロイドがニーナっていう美少女なご主人さまと絡む美しくて悲しい、悲しくて美しいのほうがいいかな?とにかく、そういうお話です。SFなんだけどけっこうシンミリきます。こういうのアニメにならないのかな?出来ればデッカイスクリーンの劇場でフルカラーで観てみたい。オススメです。
もうみなさん、お目にかかってるとは思いますが、Facebookが最近導入したらしい個人向けのPromote Postっていう機能、スクリーンショット取ってみました。
参考記事:http://techcrunch.com/2012/10/03/us-promoted-posts/
一回に$6.5って出てるけど、これってどれぐらいみられたのか?とかそういう数値は取れないのかな?だれかやってみて下さい。これってイベントの宣伝とかに使うとイイのかなぁ?
あ〜、バイク乗りたい。ということでそういう気持ちになっちゃうのはこの本のせい。
なんだかんだいっても世界で7600万台の大ヒット、スーパーカブですよ。実は一回も乗ったこと無いけどwwww本自体は社内報の記事とかインタビューとかまぜこぜで多分にダブってる内容も多いんですけど、写真もそこそこあるので楽しめますな。いろんなバリエーションがあるのね、スーパーカブって。
もう50年以上作られてるんだけど、2007年にエンジンを全面改良して更に良くなったと。で、そこで採用された「オフセットシリンダー」っていう技術についてググってみるとヤマハさんも使ってる単気筒のエンジンの抵抗(振動?)を下げるための工夫なんだけど、これって2012年、つまり今年に発売されたCRF250Lっていうオフロードモデルでも採用されててなんていうかスーパーカブのが採用は早いのかよ!ってことです。いやぁ、ホンダの技術陣のみなさん、スゴイなぁ。ちなみにフレームも含めて今年フルモデルチェンジしてます。
こういうバイクの技術本、楽しいよね。しかし赤いスーパーカブ、カワイイ。ちょっと間違えると郵便屋さんになっちゃうけどw
ちなみに赤いスーパーカブをレストアした人の記事はコレ。たまんない。
http://www.sky.sannet.ne.jp/otaqe/md_01.htm
ということでだれかスーパーカブ持ってる人は一度、貸して下さい。
トコトコと田んぼの脇やら里山を走ってみたいです(・ω・)
もう告知が始まってますが。11/24に青山のアリストクラトさんで試聴会をやります。
今回はテーマを決めて「翔べる」音をあの超高級オーディオで大音量で聴いてみよう!という催し。
いつものスゴ本オフは「この本スゴイんだよ、なんたって...ああぁぁ、此処から先は云えない!」っていうネタばらしが出来ないのが不満なわけですね。でもじっくり読んでみればソコには発見も感動もあるわけ。つまりじわじわくる。
それに引き換え、音楽はその場でみんなで体験できる。そう、ポピュラー音楽ならものの4〜5分で一曲聴けるわけです。だったらそういうオススメ音源をみんなで持ち寄って気持よくなりませんか?というのが主旨。
以下、概要です。
日時:2012年11月24日13時開始、17時終了
場所:アリストクラト(地図はココで)http://www.acrat.jp/
テーマ:「翔べる」音。宇宙でも青空でも漆黒の闇でも、とにかく翔んでる感じの音でお願いします。CDでもiPodで持ち込みもOKです。レコードも可ですよ。
定員:15名くらい。申し込みはFacebookですが、Twitterで@yasuyukimaに頂いてもOKです。参加多数の場合は先着順じゃなくて抽選にします。
申し込みはここからどうぞ→ http://www.facebook.com/events/495758877109841/
参加費:2000円(飲み物とおつまみを出しますのでその費用です)
終了後は二次会になだれ込む予定ですが、もちろん不参加でも構いません。
以下は、前回おじゃました時の写真をダダっと載せます。
シングル盤がごちゃまんとありました。
日本に、というよりもアジアに一台しかないレコードプレイヤー。アルミ削り出し。
ちょっと常識ハズレなスピーカー。右のはアルミの真空バキューム成形だそうで。
もうなにがなんだかわからない六段積みのスピーカー。これでワンセット。
CASIOさんのHDRアートで撮ってみた。
ギラついてますwww
ということでみなさん、よろしくどうぞ。
もう5年も前に「教室の悪魔」という本を読んで震撼したんだけど、同じ著者さんが書いたこれ、「震える学校 不信地獄の「いじめ社会」を打ち破るために」はいじめっていう現象がネットを使って教師にまで広がっているっていう恐ろしい事実を教えてくれたのだった。
前に読んだ「教室の悪魔」の記事はこれ。→ http://bit.ly/NNQN42
今回は単に教室のなかで生徒同士のいじめが発生するって言う話だけではなく、それが担任の先生にまで拡がってるということを事例から明らかにしている。そしてその対応も学校の管理職、つまり校長や保健室の先生にまで視野に入れて、もっとお互いを信じて情報をオープンにして怖がらずに前に進もうって提言してる。
前回と同様に最後の章が具体的なToDoリストになっていて、途方に暮れる学校関係者のための素晴らしいマニュアルになってる。こういう風にやるべきことを洗い出してそれを実践するっていうところが、ヘンな学者さんチックじゃなくて、さすが現場の人(著者の山脇由貴子さんは東京都児童相談所の児童心理司)だなと。
先生がいじめられるってホントに?って思うかもしれないけど、「あの先生、ちょっとエロくない?ワイセツぅ〜!」みたいなたわいない女子生徒の言葉がどんどんエスカレートして最後にはその先生を売春容疑で追い詰めるって生徒同士のいじめの発端と同じだし、ネットとマスメディアがやってるバッシングの形と相似形で、ひょっとすると感謝組織でも起こってる?って思わされる。あぁ、やっぱり「いじめ」って社会のミニチュアどころじゃなくてソノモノなんだなと。
事例はホントにいかにもそうだろうと思わせるものばっかりなので読んで貰えば良いと思うけど、副題にもなってる「不信」っていうのが今回のキーワード。自分以外のだれも信用できなくて相談できない、そうやって先生も生徒も壊れていく。それが当たり前になってひたすら我慢すれば、あと何年か過ぎればこれは終わるんだって言い聞かせる。結局、何の解決にもならないし、死んでいくだけ。とりあえずすぐに相談して、批判とか責任追及とかしないでまずはいじめを無くすことを先決に行動する。そういう部分が実にブレない。こういう強さが必要なんだよね。
「あとがきにかえて」にこうある。
私はどんな子どもに出会っても、感じることがある。
人間の心には、生まれた瞬間に、愛情で満たされなくてはならない器がある、と。その器には、親をはじめとしてまわりの大人がたくさんの愛情を注いであげる必要があり、その器から愛情が溢れた分が、まわりの人に向くのだと思えてならない。
この器は、満たされないと私たちの心を苦しめる。空っぽな感じが襲ってくる。それは空腹感や物欲、金銭欲に転化し、「空っぽ」を必死に埋めようとする。だから、私たちは心が満たされないと、やたらと食べたり、物を買ったり、お金を稼ごうとするのだ。子どもも同じだ。ある子は食べても食べてもお腹が空いたと言い続け、ある子は万引きをし続け、ある子は親のお金を盗み続ける。
やっぱりいじめは社会の縮図なんだよね。ということでオススメします。ついでに「教室の悪魔も文庫が出たみたいなのでそっちのアフィも貼っておきますね。
いやぁ~、大都会東京に住んでるみんな!元気?ところで限界集落なんて、全く知らないどっかの片田舎のじいさんばあさんの話だと思ってるでしょ?違う違う。この本読んでみろって。
限界集落の真実: 過疎の村は消えるか? (ちくま新書)とあるきっかけでこの本に惹かれて読んでみた。表紙にある問いかけ、「過疎の村は消えるか?」っていうのを検証するのはホントに最初の方だけで後の方は、我々日本人の目の前にある危機っていうのはなんなのか?を歴史の振り返りとフィールドワークで丁寧に辿る素晴らしいルポルタージュというか提案というかそういうもの。冷静なのにアツい本。
単純に書くと「限界集落っていうのは田舎だけの問題じゃなくて過去の日本が辿ってきた歴史を考えれば必然の結果で、それでも「消滅」なんて結果には至ってない。で、それを解消しようとして介護とか老人福祉みたいな狭い視野で問題を捉えるとエラいことになるよ」というのを教えてくれる。
つまり、いまの限界集落と言われる地域に残っている高齢者のことよりも少子化で若い世代が育たないほうがずっと深刻なんだ、っていうこと。結局、ソコでの少子化が大問題ってことなのよ、うん。
ちょっと引用すると、
集落の限界問題はこうして、世代間の地域住み分けがなされた上で、高齢による担い手の喪失が予想される地域の中で、2010年代以降、いかにして次世代への地域継承が実現されるかという問題として設定される。
こうして限界集落問題は、高齢者が多いゆえにそのサポートが必要だと論じるのでは不十分なのであり、むしろ日本社会の戦後の変動の中で生じた、主要三世代の間に特徴的に見られる村落と都市の、低次産業と高次産業の、あるいは中央と地方の間の、極端な住み分けからくる矛盾のうちに考えるべきものなのである。
過疎問題は世代間の地域継承問題である。それは一人一人の人生の問題でもあるとともに、人口構造の問題でもあり、それを生み出してきた経済や政治の問題でもある。そしえそれはおそらく、この国に支配的な思想や倫理、日本人が今後どういう生き方をするのか、何を大事に思い、何を尊重するのか、そういった価値の問題にもつながっている。
もう繰り返し、クドいぐらいに「狭い地域の高齢者対策の問題じゃない」って書いてある。そしてそれを支える様々なデータと自分の足で歩いて得た知見。で、問題は都市に暮らす我々にも跳ね返ってくるんだよね。
ちゃんと都市こそ分断されていて個人が孤立しやすい場所だ、って言い切ってて、それは都市生活者の自分にもズシッとくる鋭い言葉だったりするのだ。
高等教育を受け、どこにでも振り分け可能な上に、広域移動にも慣れた労働力で、都市的雇用にほぼ回収され、仲間と集い、集団組織をつくるのに慣れていない。中央集権、経済中心の考え方から離れることも難しく、それどころか、そこかあうまみを吸い取ることにも不器用だ。景気悪化の中で不安定な仕事についている者も多く、自分のことだけで手一杯で、未来の見通しも明るくない。
限界集落と呼ばれる場所以上に、いま都市でこの日本社会を動かしている中心層でこそ、その主体性を取り戻す必要があるかもしれないわけだ。
そうですね、ホントに。で、結局、最後はそれぞれの地方に人が帰っていくための新しい発想をしないとダメだよね、そのためには都会で考えるんじゃなくて地方に住んでる人たちが主体となって雇用とか医療とか子育てのしやすさとかそういう部分でアイデアを出さないといけない。そのためにひとつの方法論、「T型集落点検」を試してみようって提案してる。
T型集落点検についてはココが参考になるかも。http://yori1335.blog89.fc2.com/blog-entry-44.html
ということで個人的には親がもう死んじゃって居ないので帰るべき田舎ってものが無くなちゃったワタクシですが、実家がある人は、帰るとしたらどういう条件が必要か?どうやったら仕事がソコに作れるか?なんてことをこれをきっかけに考えてみるのもいいのかもしれない。
久しぶりに色々発見があって刺激的な新書でした。オススメします。
追記:思ったんだけど、この本の著者の山下さんと少子化の記事の元の本を書いた金子勇先生で、世代継承をしながら少子化をなんとかするにはこうしたらイイんじゃない?的なアイデアがカタチになるといいのになと思ってみたり。
まぁ、そんなに人となりを詳しく知らないとイケないわけでもないんですがね。
ロバート・キャパっていう写真家の本を読んでる。というか写真を眺めながら文章を読んでるっていうほうが正しい。
実はユダヤ系ハンガリー人で本名はエンドレ・エルネー・フリードマンだったとか。すっかりフランス人だとばっかり思ってた。違うのね。
あとこんなことも。
キャパはその経歴の中でたびたび子どもたちの顔にこだわっている。1991年にキャパと子どもたちについての著作、「戦争・平和・子どもたち」を出版したリチャード・ウィーランはそれが彼の仕事の「メインテーマ」だったのだと考えている。
で、こんな写真を1936年にスペインのマドリードで撮ってる。
いやいや、すみません無断コピーで。しかし有名な「崩れ落ちる兵士」とかよりもずっと心に残ったので。上の引用で書かれてる本はコレですね。
あと、一番最後にこんなのも。
これは伝説である。「キャパはライカが大好きで、このカメラを使用したことによって現代フォトジャーナリズムの先駆者となった」。まったくそんなことはない。1937年には使わなくなったライカをゲルダにゆずって、自分はコンタックスやお気に入りのローライフレックスを使っている。
なるほどねぇ。確かに亡くなった時に持ってたカメラもコンタックス、それに死ぬ直前に来日して買ったのもニコンSだもんな。
あと地味にイスラエル建国の宣伝映画撮ってその時の本もつくってるんだよ。アーウィン・ショーと一緒に。知ってた?
ということでキャパを知るには素晴らしい本でありました。
歴史の教科書を作ろうとした時に「うん?なんでこんなにオレが知ってる内容が入って無いんだろう?ちょっとコレはオカシクない?」と気づいちゃったテキサス在住のアフガニスタン出身の男性、アフガニスタン父とアメリカ母の息子がはたと気付いて書き上げちゃった(かどうかはわかんないけどw)600p超のスゴ本です。
イスラムのにわかファンのワタクシも今までにいろいろ本を読みましたが、ここまで綿密にメソポタミア文明の勃興の辺りから直近の9.11のテロまでをイスラムの側からみた視点で途切れることなく駆け抜けたっていう本は初めてだ。ていうか誰がそんな無謀なことしようと思ったんだろう?
しかも文体が難解な専門書風じゃなくてけっこうぶっちゃけ系なので、意外と読み易い。そんな本を要約するのも大変なのでしませんが、とにかく、イスラムって何?どうやって今の状況になったのか?というのを解説してくれるので、なんかシーア派とかわかんねー、とか、十字軍ってなにしたの?とか、アラビアのロレンスってこういうとこで出てくるのか!とか、もうね、スゴイです。
歴史ってまさにこうやって人と時間が綿々と繋がって出来てるんだなぁと思わせてくれる超力作です。特にイスラームの各派閥が出来る様のオドロオドロシイ状況とか十字軍やらチンギス・ハーンのやったこととか今まで知らなかったこと満載でホントに面白かった。あと、イギリス人の腹黒さっていうか欲の深さっていうか、ホントにこの頃は(イスラームの人にとっては)悪い奴らだったんだなぁってわかる。
ちなみに豆知識だけど、シェークスピアの「オセロー」の副題、「ヴェニスのムーア人」のムーア人はムスリムを指すそうです。なるほどー。でもシェークスピアにはムスリムはほとんど出てこない。それはどうなの?っていう著者の鼻息が聞こえてきそう。
ま、そういう意味ではとてつもなくぶっちゃけてるっていうのは著者個人の見方というか認識がだいぶ混ざってる気がしないでもないけど、ヘンに無味乾燥な事実だけを並べられても「文章」としては価値が下がっちゃったんだろうから、コレはコレで正解です。
一番最後の章にこう書いてある。
イスラーム世界と西洋世界のあいだには、議論すべき問題が山積している。その中には、すぐにも激しい論争に発展しそうな問題もある。けれども、双方が同じ用語を使い、それらの用語で同じことを意味するようになるまではーつまり、双方が同じ観点を共有し、あるいは少なくとも相手がいかなる観点に立っているかを理解するようになるまでは、分別ある議論はできないだろう。多様な世界史の物語をたどることは、こうした展望を開く一助になるには違いない。
本当にそう思う。なによりも勝った側、負けた側、双方の言い分を聴くべきっていうのは正論なんだけど、歴史の場合の問題は、負けた側はたいてい殺されてて記録に残ってないっていう恐ろしい側面なのかも。そういう意味ではイスラームは決して敗けたわけじゃないけど、後から出てきたイギリスなどに如何にコケにされてきたのか?を理解するにはスバラシイ読本です。
ということでけっこう長いし、まぁまぁそう興奮せずにwって言う部分もなきにしもあらずだけど、秋の夜のお供にピッタリな歴史本です。この本の続編、もしくは別の人の意見・観点を読みたい気分。
ちなみに余談だけど、原題の「Destiny Disrupted」は多分にこの映画のタイトル「Girl, Interrupted」から影響されたのかなーと思ってみたり。こっちも良かったよねぇ、アンジェリーナ・ジョリー、最高だった。
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