こないだのサイバー大学の時に撮ってたけど、上げてなかった。
前のサッカー日本代表監督、イビチャ・オシムさんの「日本人よ!」を読んだ。前からその語録が記憶に残ってたりしたので、気になってたんだろう。たまたま図書館で手に取ってみた。
サッカーとは、人生である。
なぜなら、人生で起こることは、すべてサッカーでも起こるからだ。しかも、サッカーではもっと早く、もっと凝縮して起こる。つまり、人間が一生涯で経験できるものすべてが、非常に短い時間の中で起こりうるのだ。一度の人生で起こりうること美しいこと、醜いこと、すべてつめこまれたのがサッカーなのである。
今の世界は、コンピュータもあれば、テレビもある。テレビの中で誰かが何を言っているかを見聞きし、インターネットを見て何かを調べる。ほかにも情報を得られるものはいくらでもある。それに慣れてしまうと、誰か知らない人に操られ、自分の考え方をもう持てなくなってしまう。(中略)
だから、まずは自分の頭で考えて欲しい。日本人は世界最高のものを模倣している。まずそれをやめるのだ。客観的に自分の力を見極め、そこから自分の道を探してほしい。その先にのみ、栄光は待っている。
サッカーでは、全員で問題を解決しなければならない。しかし、誰のサポートも受けられない状況下で、一人で責任を背負って解決しなければならない場面もある。
そこでミスするかしないかは重要ではない。日本の教育の問題は、長年にわたって罰を与えてきたシステムであると、私は考えている。どんなミスでも罰せられると考え始めた瞬間に、人は罰せられないように何もトライしなくなる。しかし、サッカーはトライとミスなしで進歩することはできないのだ。
ところで、日本に限らず世界でも、サッカーを数字で理解したがる人たちがいる。果たしてそれで良いのだろうか?
(中略)
80分間ボールを支配していたのに試合に負けてしまった。だから、何だ?100回ものチャンスを逸して負けてしまった。だから、何だ?
サッカーは数字で計ることなどのできないスポーツである。
選手が何試合にもわたって同じミスをするようならば、自ら試合に出ないのが良いだろう。敢えて監督がその選手に言う必要もない。そうして次第に、選手たちは言われたことを信じ、責任を持つことを知るようになる。だから私のやり方では、必ずしも罰は必要ではない。
もし選手が、私に批判されただけで危機に陥るようならば、私はどうすればいいのか?
もしミスをしない人間ならば、サッカーなどやめた方がいい。あるいは、教会に行ってくれ。そうすれば、神に仕える聖職者になれるだろう。
記者会見で質問に答えることには、私も反対ではない。しかし、ジャーナリズムに従事している者ならば、子供のような質問を私にしないでほしい。それは、
「あの選手はなぜゴールを決めたのか?」
「あの選手はなぜ失敗したのか?」
といった質問である。
だから、この言葉だけは、絶対に忘れないでほしい。
「終わるまではすべてが起こりうる」
人生はだいたいそうだし、サッカーでは常にそうだ。
いつものAMNさんのイベントでサイバー大学のお話を聞きに汐留はソフトバンクさんの本社に行ってみた。
セミナー中に写真を撮るのを忘れるぐらいに興味深かったので、写真はナシ。
ぶっちゃけて言うと「サイバー大学」っていうのは、ネット上で大学教育を受けられる通信教育みたいなもので、今時点で、始まってから1年半、生徒さんは2000名を超えるぐらい、ということらしい。
で、当然、ネットで授業をやるわけなので、生徒はパソコンを使って先生の話を聞いて、ちゃんとテストを受けたり、演習をしたりする、というもの。まぁ、その辺はここをみてもらえばイイとして、セミナーで聞いた話の感想を書こうと思う。
通常の大学の座学(?)の90分コースをネットでやるわけじゃないので、15分のパワポと先生のオンデマンドなビデオをみながら、学ぶわけだけど、同じ教室にいるわけじゃないし、生徒さんによっては真夜中に受けたりするひとがいるので、15分を4回繋げると1単位になる。それをみて生徒は学ぶ、わけだ。ほかにもQ&Aのコーナーがあったりするし、生徒同士のSNSがあったりする、まぁ、IT系の人なら「そりゃそうね」って判る機能がちゃんとついてる。
でも、話を聞いて驚いたのが、そのシステムだけじゃなくて、そのシステムのバックボーンと言うかフレームワークと言うか、ルールと言うか、大学全体の骨格がすごくちゃんと出来ている。説明してくれた大木さんと言う方に「これって全体がスゴくちゃんと練れてる気がするんですけど、SBさんで全部作ったんですか?」と質問してみた。すると「これは、実は韓国に前例がありまして・・・」ということで韓国でもう卒業生を出している同じようなネットの大学のシステムをかなり参考にしていると。
う〜ん、最近の(というか前からだけど)韓国の笑える状況をみるとちと不安になりますが、まぁ、イイ。
最後の懇親会の時にたまたま同じテーブルになったいわば同業他社の駒沢大学の山口さんと一緒にちょっとお話ししてたんですけど、業界のひとからみても「ITだけじゃなくて全体が良く出来ている」らしいと。で、SBの社員で教える側の先生もやっている方の説明で「教える側は非常に大変です。1回の授業、15分x4回のコンテンツを作るのにものすごく労力が必要です。」と言うのがあった。そりゃそうだよな、「え〜、今日は暑いですねぇ・・・」とか「実は今朝の新聞で・・・」とかの無駄話が出来ないから。
で、山口さんに、「これって生徒も大変だけど、何より先生が大変じゃないですか?」って思わず聞いてみたら、「いや、あれくらいは平気で出来ます。なんで講義で無駄話から入るかと言うと生徒がついて来れないから。」ということで大学の先生をやるぐらいの人なら、語ることは山ほどあると。それ聞いてちょっと安心した。
で、AMNのブロガーミーティング史上!最高の酒の量が用意されていた懇親会を終わって帰りがけに美谷さんとエレベーターでご一緒に。その時に美谷さんが「システムが良く出来ているんだから、慶応とか早稲田とかがサイバー大学に出店すればイイのに」って言ってたのを思い出した。そうだよな、ショッピングモールみたいに色んな講義が選べるようになれば、イイのになぁ、と思った。
あと今後の課題ってヤツを訊いてみたんだけど、「とりあえず4年間やって卒業生が出て、その生徒がどこに就職するか?」が見えないと高校側も評価できないらしく、運営側としてもまずは続けることが目標だと。各単位ごとに料金が発生するとか最初の15分は無料で観られるとか、ちゃんと「会社」っぽさがあってSBさんらしい。でも、IT系の学部はともかく世界遺産のほうはどうみてもカルチャースクールっぽく感じてしまうワタクシはだめですか、そうですか。実際に世界遺産のほうを受けてるのは旅行会社の社員さんとかが、サンプルになってた。ふむ。
ところで、1名でも生徒がいたら、コンテンツを作らなきゃいけないので、先生のほうにかかるコストは結構なもんじゃないかなと思うけど、バランスシート的には「もう真っ赤」らしい。そりゃそうだよな。でも思うんだけど、中のひとにしてみたら、当初は真っ赤でもいつかこうなったらちゃんと会社として回るようになる、って目標を見えるようにしておかないといけないような気がする。
お金が動く以上、「うちはもう真っ赤でもイイんです。」というのは外からみてどうというより、儲かんないのが当たり前の組織は中のひとのモラルが落ちまくるから、ちゃんとしておいたほうがイイように思う。
ということで、とりあえず法則が発動しないことを願うのみ。
タイトルはお約束の「サイバー大学のコピーを考えよう!」ワークショップの時になんとなく浮かんだ
「どこでもドア」で真剣キャッチボール
というやつを参考に書いてみた。とりあえず生徒さんも先生も真剣、らしい。
たまたま観てた朝のNHK。リリー・フランキーが故郷の小倉でNHKのアナウンサーにインタビューを受けてた。
ちゃんと観てなかったけど、インタビュアーの「・・・・ってどうでした?」みたいな無神経な質問にリリーさん(りりーさんてwww)、一瞬、イラッとしてるのがちらっと垣間見えた気がしたのは気のせいか。
どうして、渡された原稿を読むだけで聞いてるひとの顔も見えない仕事を生業にしている人間を、インタビュアーに仕立て上げたいのか、その理由がわかんない。単に滑舌がイイからってだけだったら、それは哀しい勘違い。
インタビューをしている相手を怒らせろとは言わないけど、「おっ!こいつ、痛いとこ突くな!」ぐらいのツッコミはして欲しいよね。そういう意味では、いつも客の反応と勝負している漫才師とか落語家のほうがよっぽど適役。
ということでジミー・ペイジに何度もインタビューして「また、お前か!?」と呆れさせ、かつ怒らせた渋谷陽一(とりあえずよびすて だって昔は、ちゃんとロッキングオンの読者だったから〜)は、ある意味エライとも言える。
ちなみにインタビューといえば、これ。「インタビュー ウィズ ヴァンパイア」。あ〜〜〜〜、Amazonさんのムービー検索、死んでるんだった・・・・・。これ好きだったのになぁ。しかしあの少女役が、キルスティン・ダンストだったとは知らなんだ。
まぁ、しかしこのVox This!でブックマークにするってヤツは、記事のタイトルがそのまま中身のタイトルにもなってしまうのねん。
ちょっとなんつーか、変えるとすると元の記事に失礼、でもそのまんまのタイトルになっちゃうのも困る、という中途半端な仕様なのはこのさい、おいておいて。
宮崎駿監督は「現代の子供は、祝福されていないことを知っている」
というのをちゃんと考えてみようと思う。
前に読んだ本で「劣等感とか落伍者意識は親が刷り込んでる」というくだりがあって、それと同じ文脈で親から「あんたはダメだ」とか「昔は良かったけど、あんたたちの世代は終わってる」とか常に言われ続けたら、そりゃ自分だけのことじゃなくて自分たち世代ぜ〜んぶが、「俺たちもうだめぽ」って思うのは仕方ないんじゃないかな。
だいたい昔が良かったなんて思ってるかもしれない自分(の世代)にしたって、あの頃は「サイテー」と思ってたし、学校も教師も親もまぁ、ひでぇなぁと感じてたのにね。これって時間が経つと全てが美化されるという良い見本。
だから、ダメなとこがあるのもイイところがあるのも昔と一緒。せめてこのひとが減り続けている国にちゃんと産まれてくれて生き延びてくれたことを、それだけでも十分に祝福されるべきことを、ちゃんと伝えてあげたいと思う。勿論、「うるせぇんだよぉ、オヤジ!」って罵倒されてもまぁ、いいじゃありませんか。元気があって。
なんか最近読んだ、「見えない世界で生きること」という本に、街で会ったパンクな若者が視覚障害者の著者を助けてくれるという話を読んで、「捨てたもんじゃないな」と思った。そう、いつの時代にもダメなのもイイものもある。それをちゃんと理解して自分で行動できる、声を出せるってのはステキだなと。
靖国神社であります。ものすごい数の屋台が出ててびっくり。
こ、こ、こ、これは!!! コーノさんが記事にする前に書いてみた。2500円かぁ、こういうの買ったこと無いからよく判んないけど、ちょっと高め?
なんか中の文字がスゴイ化けてる気がするんだけど、気のせいかな。
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