修正(2012/7/22) リンク先と書籍のアフィを変えました。
==============================
「いじめの構造」内藤朝雄 著 という本を読んだ。
過去にいじめ関係の記事は色々書いたんだけど。
いじめは犯罪だ
なんとなく前から、いじめが始まるのは個人の容姿とか性格という個別のものではなくて、学校というシステムに問題が有るんじゃないだろうかと思っていた。ひとつのヒントは前にどっかで読んだ本で「塾だといじめは起こらないのに学校でだけ起こる」という直感にも似た思いを書き綴っている人がいたのだ。それを読んだ時に「それだ!きっとそうなんだ!」と何故かこちらも理解した経験がある。まぁ、多分に自分自身がどっちかというといじめる側に居たという記憶があるからかもしれない。
しかしこの本にあるように突然、環境が変わることで「いじめ→いじめられる」ようになったことも事実。ワタシがいじめる側にいたのが中学生、いじめられる側にいたのが高校生。この本の中の事例のような過酷ないじめではなかったのだけども。で、いまは7歳男子の親として、興味があるんですね、はい。
ということでその「いじめ」を実に客観的かつ構造論的に分析して解説してくれる本がこれ、「いじめの構造」。
マイブームの金子勇さんと同様に単に分析するだけではなくて、最終的に学校改革を含んだ教育システムの提案までしてくれるところまで一歩踏み込んでいて説得力がある。結局、「これはこーなっててこーだから、ダメ」とかの批判を聞きたいわけじゃないのね。なので提案の無い批判や分析はやっぱダメだな、自分。
現状がダメならダメで、じゃあどうしたら良いのか、そこまで踏み込んで欲しい。
簡単にまとめると中学校をモデルにとって同年齢の子供が濃密な小集団に強制収容させられることによって、その集団の中の「ノリ」によっていじめが発生するさまが手に取るようにわかる。
分析はそこに留まらないで、
- どうして加害者と被害者が逆転するのか?
- なぜいじめられた被害者が我慢しながら『タフ』を装うのか?
- 「むかつく」とは何なのか?
- いじめの3つのタイプとは何か?
などなど。
どの問い掛けも冷徹で重くてたまんない。なんか前に進むのが怖いお化け屋敷の中みたいな感覚。これ以上進むともっと恐ろしいめにあってしまうぅ〜みたいな。
最後のほうに出てくるこんな一節が人間の根源的な姿を言い表しているようでグッときた。
人間は天使でも悪魔でもなく、いわば天使と悪魔の混ぜものである。13歳ぐらいになれば、「やっても大丈夫」な密室状況であれば、一定数の者がこれぐらいのことを平然とやる。日本人であるないにかかわらずである。(中略)
大切なのは、どういう制度・政策的環境条件下で、どういうタイプの集団に、どういうメカニズムでもって、いじめが蔓延しやすくなるか、ということだ。
で、散々悲惨なかつ冷静な分析を読んだ後で、「第6章あらたな教育制度」という章に行き着く。
現行の学校制度は若い人たちに密閉空間で一日中、ベタベタしながら共同生活をおくることを強いる。この学校共同体制度のもとで、人間の尊厳を踏みにじる群生秩序が蔓延する。聖なる教育の共同体を徹底的に強制する場としての学校は、群生秩序の培養を行う実験室のような生活環境になっている。
ということでどうもその濃すぎる学校の制度を変えないとダメだと言うことをモノスゴイ説得力のある提案でしてくれる。
それは、かいつまんでまとめるとこういうことだ。
短期的な施策としては、いわゆる市民生活のルール、つまり人を殴ったら警察に突き出されて処罰されるようにする、暴力を止めるために警察そして司法の力を使う、ということがひとつ。学校を閉じた聖域にしないこと。これで暴力系のいじめは止まる。
そして陰湿なコミュニケーション系のいじめ、つまりシカトする、悪口を言う、くすくす笑いをする、といった手法でのいじめに対しては、学級制度を廃止して数学とか国語といった単位ごとそれを受ける単位を集合させるという方法。なんかよくアメリカの映画に出てくるみたいに担当の先生の教室に生徒がぞろぞろ集まってくるみたいな感じか。
長期的には義務教育を一度解体して、教育バウチャー制度に直す。つまり読み書き計算の基本は教育バウチャーでどこでも無料で受けるようにする。これが義務教育。そしてそれ以上の教育は権利教育と位置付けて公共の組織でも民間の組織でも受けられるようにする。この時点で権利教育というか付加価値的な教育を提供する側も競争が起こり、自然と質が向上する。
中学生の年齢でも大学レベルの教育にとっとと行きたい人は行けば良いし、逆に芸術系や技能系、演芸系に行きたい人は自分で選んで行けばイイ。年齢の枠も取り払って全ての国民にオープンにする。
そうするとそれぞれのクラスには年齢も経歴も違う人が一緒に学ぶ、といういじめが発生しづらい、距離感を自分で設定出来る対人関係が醸成される、と。
こうすると社会自体が均一の価値観(たとえば、大卒がエライとか)に縛られないで様々な人間がそれぞれの価値観と生き方を選択出来るようになる。
いじめの構造を分解して、ここまでアイデアを拡げられるのがスバラしい。というかいじめって中学校とか高校というミクロな構造問題に収まらないのだ、という洞察ですね。
ちょっとだけ不満があるとすれば、今の教育制度を支える資源(予算とか法律とか)を調査した上で、新しい制度に組み替えるとすればどれ位の投資と時間が必要なのか?という部分がないところ。ここだけが猛烈に残念。
しかし今の「いじめのメカニズム」を解き明かすには十分すぎる分析と説得力。教員と教育関係者、親、保護者は読むべき良書。
[いいですね] そうですね、塾でのいじめって聞いたことがありませんね。
というか、少なくとも僕はとっても楽しかった!っていう印象です。
小中学校の友達とはあまり連絡をとっていませんが、焼酎の、じゃなくて、小中学校の友達とはいまでもよく遊んでいます。
投稿情報: √ | 2009/05/21 07:13
「抑止力としての他人の目」が無いところでは犯罪率が高まるということは既に知られていますし、実際に、大人社会でも空き缶を捨てるとかスピード違反をするといった類の軽い(?)犯罪のみならず、職場やコミュニティでのいじめがいつまでも無くなりませんよね。教育によって「おてんと様が見てますよ」の効果もある程度は期待できるかもしれませんが、現実的な抑止力としてはあまり効果はないでしょう。
学校には、大人の数が少なすぎると思います。かつて教壇に立っていた経験から、そもそも1人の教師が40人前後の学生を一度に面倒見るという現在の学校システムには全くもって無理があると感じています。きめ細かにケアしようと思ったら、1人の人間が目を掛けられるのは4~5人くらいが限度ではないかと。だとすると学校にはいまの10倍の大人が必要ということですよね。
仮に学校にいまの10倍の大人の目があったら、それだけでも「少なくとも校舎の中での」いじめは激減するのではないかと思います。
投稿情報: ぽぽ | 2009/05/26 13:14
そうですよね。要は子供だけの閉じた空間ではなくて常識が通じるフツーの社会の空間になれば、あっと言う間にいじめは減ると思います。つまり人に暴力を働いたら警察が来るみたいな常識が通じる空間になれば。
あと、同じ歳の子供だけじゃなくてそれこそもう一回勉強したい大人とか外国人とかも入ればそれだけでヘンなヒエラルキーが無くなっていいんじゃ無いかと。
やっぱ「政治」でしか解決しない問題ですよね、コレ。
投稿情報: yasuyuki | 2009/05/26 14:04