はぁ〜、しかし何度読んでも素晴らしいな、「散るぞ悲しき」は。
前に書いた記事(2008年だと!)は今でもそのままの印象なので一応、メモしておく。
そしてクリント・イーストウッド監督の「父親たちの星条旗」の感想文も。
「散るぞ悲しき」のほうは限界ギリギリの状況でも冷静に何をするべきか?を教えられているようで、今の3.11以降の日本の状況と合わせて考えてみると、栗林さんなら今どうするだろうなぁ?としばし思いにふけってみる。ま、栗林さんは軍人だから出来ること出来ないことがあるのは重々承知の上で。組織の人であり、何よりもリアリティの人だったってことはこの本でよく判った。
戦争賛美ではもちろん無いし、栗林中将のことだけではなくアメリカの海兵隊の話もちらっと出てくるし、生き残った兵士や家族の話もとても印象的。何よりも天皇陛下がその返歌を詠んでるという辺りが語られることのない思いを表しているようでグッとくる。
以前の記事から引用。
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軍人としての栗林中将が、最後に書き送った辞世の一首が大本営で書き換えられていたという事実が出だしのプロローグでいきなり出てくる。それこそが著者がこの本を書く一番の動機だったんだなと判る。
栗林中将が書いたオリジナルはこうだ。
国の為重きつとめを果し得で 矢弾尽き果て散るぞ悲しき
そしてその最期から49年後、1994年2月に天皇陛下が硫黄島に初めて降り立って詠んだのがこれ。
精根を込め戦ひし人未だ地下に眠りて島は悲しき
見捨てられた島で、それでも何とかして任務を全うしようと、懸命に戦った栗林以下二万余の将兵たち。彼らは、その一人一人がまさに「精根を込め戦ひし人」であった。
この御製は、訣別電報に添えられた栗林の辞世と同じ「悲しき」という語で結ばれている。大本営が「散るぞ悲しき」を「散るぞ口惜し」に改変したあの歌である。
これは決して偶然ではあるまい。四九年の歳月を超え、新しい時代の天皇は栗林の絶唱を受け止めたのである。死んでいく兵士たちを、栗林が「悲しき」と詠った、その同じ硫黄島の地で。(282p)
これを読むと「散るぞ悲しき」というタイトルにした意味が良く判る。これこそが栗林中将が伝えたかったことだったんだと。
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今の時代の戦争とはだいぶ趣が違うのかもしれないけど、忘れにようにしておこう。こういう人が居たことを、そしてこういう思いがあったことを。
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