恵比寿は三越の本屋さんでみつけちゃった。
え〜っと、このトラはなんて名前だったかな?
今日はちょっと真面目に考えながら書いてみる。
何か?結論から書きますと「expe.jp」というサイトをGeekpageのあきみちさんと始めますよ、というお話。で、今現在、Twitter
では「このロゴを作ってくれるひとを募集してま〜す」という呟きをあきみちさんがしてくれていわゆる←イマココ状態なわけです。
えxぺの発端は何か?
では、なんでそんなサイトを作ろうか?なんて話になったかと言うとですね。ふとしたことからあきみちさんの呟きに反応したら、「そういうひとを待ってた!」みたいな、まさに釣られちゃったわけで。でも今、あの時のあきみちさんの呟きを探そうにも探せないww つまり勉強会とかを企画するひとを求めてますみたいな話だった。(本人から教えて貰いました。こんな記事です。)
そこで実際に3月にあきみちさん、あときっとこの人も引っかかるに違いないと踏んだタケルンバ卿と3人で落ち合って話をすることに。
で、話し始めてふと気が付いてみると
「なんか勉強会とかそういうのもっとやりたいっていうか企画したいんですよねー。だれかに押し付けられるんじゃなくて」
みたいなとこからいきなり話が始まり、そのあとで
「メールとかで調整とかウザイじゃないですかー。サイトの中でその辺のアイデアを揉んだりできるとイイっすよねー」
「あ〜、そうなんです。実は....」
ということでそういうことを出来るサイトを開発します、みたいな力強いお言葉があきみちさんから!!
どっちもそういうプログラミングとかには疎いyasuyukiとタケルンバ卿は、
「お〜〜〜!!!」
あ:「しかも、オレも混ぜてくれ!ってなんか面倒じゃないですか!だからベースとなるソフトはオープンソースで公開します。自分で企画したりしたい人はこれ持ってって勝手に自分でやればみたいな」
や&タ:「おぉ〜〜〜〜!!!」
実際に、本を読んだり、新しいことに触れたりすると誰かそれを喜んでくれそうなひとに教えたくなったりするわけです。
振り返ってみると前回のAkamaiの勉強会もそうだし、2回目のAkamai勉強会も同じ。「あの人がこの話聴いたら喜びそうだな〜」みたいな。個人的な欲求はほとんどソコな訳です。
えxぺ(expe.jp)とは何か?
当面は、自分たちで企画した勉強会のアイデアを煮詰めるためのサイト、です。読み方は「エクスペ」です。Experience(体験)とかExperiment(実験)とかを自分で企画するためのサイト、です。
実際に日程の調整はATNDでほぼ出来るし、中継はUstreamでおk。えxぺは思い付いたアイデアを纏める/煮詰めるみたいな初期の一番大事なとこを助けるツール、って感じ。
とは言ってもまだ最初のページしかないし、ロゴだってデザインされても無い。これからです。
ただ3人で初めて会ったあの日に「サイトのURLって大事だよねー」と、ある意味、非常にWeb的な発想というか衝動を3人で共有した時に、前から考えていた「エクスペリエンスの略でエクスぺってのはどう?」って思わず提案して即、決まったのであった。
これからWebで新サービスを立ち上げるなら、アルファベットで4文字以内、ひらがなで読み易い名前がいいって直感してた。
英字でexpe、そのままひらがなにすると「えxぺ」というヘンだけど短い名前を考えておいたのがココで役に立ったのね。まだ.jpドメインも空いてたし。
ということで「自分で何かを知りたい」でも「だれに何を聞いたらいいのか判んない」という時にこのツールが少しでも手助けになればいいなと考えてます。
うは〜、マジメだ〜。
追記:あきみちさんとタケルンバ卿のブログにリンクを設定。
あと、当初はある程度限られたメンツで進めます。そこは誤解無きよう。別に会員?をいっぱい集めてウレシい!とかが目的ではないので。
iPhoneはほとんどTwitterデバイスになってるyasuyukiです、こんにちわー。
でもそれ以外のアプリでこれは!!というのを見つけた。(元はKira88さんのTwitter&Blogから。Thx Kiraさん!)
前から、「かわいいよ、TENORI-ON かわいいよ。」状態だったんだけど、さすがにあれに12万はないわーと思ってた。
いや、コダワリを考えれば12万になっちゃうのはわかんですけどね。
で、iPhoneといういかにもなタッチパッドを備えたデバイスが出て、ヤッパリ出ました。そんな貧乏なTENORI-ONラヴァーに捧げるアプリ、TonePad。
もう単純に左から右に時間が流れる。で、白い点を指先で置いていく。と、その白い点が鳴る時に緑になる。周りの黒い点のところに波状にエコーみたいな僅かな光が広がって行くところが芸が細かい。上下は当然、音程になっててその音程で「ピコ♪」とか鳴る。あ、エコーも効いてますね。
点が鳴る、ただ単にそれだけのアプリ。スピードも変えられなければ、音色も一つだけ。でも、保存したりできるし、ネット側にあげることも出来る。それにEditと言ってシャッフルしたり、全体的に上げたり下げたりひっくり返したりできる。
指先で「ビヨォ〜〜〜ン」って豪快に触って白いタマで埋めたり、もう一回触って消したりするだけ。でも奥が深くてというかハマっちゃって大変。ふと思ったんだけど、複数のiPhoneで一緒にジャムとかも出来んのかな? スピードがいっこしかないのでスグにハモれるかも? あとこれ、ちゃんとスピーカーで聴いてみたいわぁ。
無料だし、難しくないので試してみるとイイと思う。リンクはこちら。iTunesが開きます。
前から読みたいと思っていた天童荒太さんの「永遠の仔」を読んだ。
具体的かつ客観的に言えば、DVとか父親による娘への性的暴力とかネグレクトがこの登場人物である優希と笙一郎と梁平において起こったことから、全ての物語が始まるわけだ。その3人の過去、1979年と現在、1997年を行き来することで読者にしてみるとパラレルに物語を進めることでその状況が理解出来るという仕組み。
なんかこう、具体的にでも書かないと未だに自分の中で処理できない。過去と現在のパラレルというだけではなくて、実際にはこの3人の経験だけではなくて、そういうヒドい体験を子に強いたその親たちの経験もまるで引き写したかのように重なるところにこの子供への虐待という罪の業の深さを感じる。
最後で3人がバラバラになってから、ともに過ごした病院を訪れる梁平が漏らすこんな言葉で物語が終わるところに救われる。
おれたちは、たったこれだけのことを、ただひとつのことだけを、言いつづけていた。
「生きていても、いいんだよ。おまえは.....生きていても、いいんだ。本当に、生きていても、いいんだよ」
もう一回、いつか読み返したいんだけど、いつになるのか判らない。でもこの悲惨な物語を僅かにでも明るい言葉で終わらせてくれたことで、いつか、またいつかきっと、この痛みを感じながら、生きることを信じる、いや、生きていく強さを思い返したいなぁと思った。
素晴らしい作品だけど、生半可に読むと怪我をしそう。でも最後のこの文章に辿り着くためだけでも、400字詰めの原稿用紙、2,385枚は価値がある。装丁のデザインも素晴らしいと思う。おススメです。
調子に乗ってもう一回やることになりました。でもこれがひょっとすると最後かも。
追記:30分で50名申し込みが有ったって一体どんだけ「裏側」好きなの、あんたたち。
タイトル:アカマイさんとインターネットの裏側を(もう一回)覗いてみる勉強会
Geekpageさんのレポートはこれ。http://www.geekpage.jp/blog/?id=2009/4/27/1
songmuさんのレポートはこれ。http://www.songmu.jp/riji/archives/2009/04/akamai_in_akama.html
ワタクシのレポートはこれ。http://yasuyuki.vox.com/library/post/great-dialog-at-akamai.htmlちょっと前にStonesの映画の広告が出てた広尾のNational Marketの広告が変わってた。
新しいのはこれ。
イラク戦争の体験、つまり戦争に行ったこと、そして一時帰国の時に妻と子供を連れて脱走したこと、をまとめた手記を読んでみた。「イラク 米国脱走兵、真実の告発」という本。
ぼくは気づいた。われわれアメリカ兵自身がテロリストなんだということに。ぼくらはイラク人にテロ行為を働いている。脅かしている。殴っている。彼らの家を破壊している。おそらく彼らをレイプしている。だとすれば、われわれが殺さなかった人びとが、この世でテロリストになったとしてもなんの不思議もない。われわれが彼らにしたことを思えば、彼らがわれわれやアメリカ人すべてを殺したいと望んだとしても、誰が非難できるだろう? 暗い考えがガンのようにぼくのココロの奥に深く住み込んだ。それは大きくなり、化膿し、過ぎた日々のいちいちについて、さらにぼくを苦しめた。われわれアメリカ人はイラクでテロリストになってしまったのだ、と。
「おっぱいバレー」を観たんだけど。感想と言うか、何だろうなぁ、見事にあの宣伝に乗せられちゃって悔しいので書き散らしてやるぅ。
簡潔に言えば、「そのタイトルとは真逆でまっとうな「おバカ青春映画」だった。あ、終わっちゃった。
良かった!のひとつの理由は、圧倒的に「綾瀬はるかがカワイイ」から。あの顔ってすごく特徴的。キレイと表現するには無理がある。つまり、黄金律的に整っているわけじゃなくて、眼の形とか顎のかたちとか薄いほっぺたとか。それがなにかきわどいバランスで釣り合っているというか釣り合ってないから、それぞれの表情が凄く人間っぽい。沢口靖子とか小田茜とかじゃ、出来過ぎ。
いつも笑っているとかじゃなくてあの特徴的な眼を中心にどんどん表情が変わる。これは写真じゃ判らない魅力。ということはやっぱ映画向きなんだろうな。
もうひとつの理由は、監督さんとかプロダクションの努力、かなぁ。舞台となってる北九州の田舎町と風景とか使われている小道具、大道具のたぐいにスゴく気を遣っている。全体的な色調もちょっとセピアっぽい感じで北九州の夏(って行ったこと無いので判んないですけど)ってもっとギラギラ暑いと思うんだけど、そこをちょっとくすんでセピアかかった色調で統一してて暑苦しくない。
着ている服とか自転車とか街を走る自動車とか看板とか。どれもちゃんと昭和40年ぐらいの時代考証が出来ててエライ。ただ、1点だけ、綾瀬はるかが自転車に乗ってバレー部の男の子と走るシーンがあるんだけど、そこで彼女が持っているストップウォッチがデジタルな黒いヤツでそこだけがまるで未来からやって来たみたいに違和感有りまくり。
なんでかなぁ、なんであそこだけデジタルなんだろう。他はほとんど完璧なのに。というかこういうことを映画好きに書かせるための計算されたミス、というかチョンボなのか?それってなんていう「チョンボマーケティング」ww
ストーリーとしては予想通り、ダメダメな男子バレー部が「勝ったらおっぱいが見られる!」って盛り上がって即席で練習しても試合には勝てないわけで。しかも「おっぱい見せる」って約束が問題になっちゃって結局、学校を去ることに。この辺はリアルでイイわぁ。もちろん、おっぱいのカケラも見えません。
あと男子バレー部、みごとにイケテない男の子ばっか。そりゃ女子にバカにされるよねぇ。
ということで男の子のおバカさをコギレイにまとめて甘酸っぱいカルピスの味にするとこういう風になるって見本。綾瀬はるかの表情を味わって「カワイイわぁ、この子。おばちゃん、許しちゃう!」みたいなコーノさん的なキモチに浸るためだけの映画とも言えるかもしれない。
ブログパーツもあるので貼っておこう。 ←無くなってたwww
修正(2012/7/22) リンク先と書籍のアフィを変えました。
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「いじめの構造」内藤朝雄 著 という本を読んだ。
過去にいじめ関係の記事は色々書いたんだけど。
いじめは犯罪だ
なんとなく前から、いじめが始まるのは個人の容姿とか性格という個別のものではなくて、学校というシステムに問題が有るんじゃないだろうかと思っていた。ひとつのヒントは前にどっかで読んだ本で「塾だといじめは起こらないのに学校でだけ起こる」という直感にも似た思いを書き綴っている人がいたのだ。それを読んだ時に「それだ!きっとそうなんだ!」と何故かこちらも理解した経験がある。まぁ、多分に自分自身がどっちかというといじめる側に居たという記憶があるからかもしれない。
しかしこの本にあるように突然、環境が変わることで「いじめ→いじめられる」ようになったことも事実。ワタシがいじめる側にいたのが中学生、いじめられる側にいたのが高校生。この本の中の事例のような過酷ないじめではなかったのだけども。で、いまは7歳男子の親として、興味があるんですね、はい。
ということでその「いじめ」を実に客観的かつ構造論的に分析して解説してくれる本がこれ、「いじめの構造」。
マイブームの金子勇さんと同様に単に分析するだけではなくて、最終的に学校改革を含んだ教育システムの提案までしてくれるところまで一歩踏み込んでいて説得力がある。結局、「これはこーなっててこーだから、ダメ」とかの批判を聞きたいわけじゃないのね。なので提案の無い批判や分析はやっぱダメだな、自分。
現状がダメならダメで、じゃあどうしたら良いのか、そこまで踏み込んで欲しい。
簡単にまとめると中学校をモデルにとって同年齢の子供が濃密な小集団に強制収容させられることによって、その集団の中の「ノリ」によっていじめが発生するさまが手に取るようにわかる。
分析はそこに留まらないで、
などなど。
どの問い掛けも冷徹で重くてたまんない。なんか前に進むのが怖いお化け屋敷の中みたいな感覚。これ以上進むともっと恐ろしいめにあってしまうぅ〜みたいな。
最後のほうに出てくるこんな一節が人間の根源的な姿を言い表しているようでグッときた。
人間は天使でも悪魔でもなく、いわば天使と悪魔の混ぜものである。13歳ぐらいになれば、「やっても大丈夫」な密室状況であれば、一定数の者がこれぐらいのことを平然とやる。日本人であるないにかかわらずである。(中略)
大切なのは、どういう制度・政策的環境条件下で、どういうタイプの集団に、どういうメカニズムでもって、いじめが蔓延しやすくなるか、ということだ。
で、散々悲惨なかつ冷静な分析を読んだ後で、「第6章あらたな教育制度」という章に行き着く。
現行の学校制度は若い人たちに密閉空間で一日中、ベタベタしながら共同生活をおくることを強いる。この学校共同体制度のもとで、人間の尊厳を踏みにじる群生秩序が蔓延する。聖なる教育の共同体を徹底的に強制する場としての学校は、群生秩序の培養を行う実験室のような生活環境になっている。
ということでどうもその濃すぎる学校の制度を変えないとダメだと言うことをモノスゴイ説得力のある提案でしてくれる。
それは、かいつまんでまとめるとこういうことだ。
短期的な施策としては、いわゆる市民生活のルール、つまり人を殴ったら警察に突き出されて処罰されるようにする、暴力を止めるために警察そして司法の力を使う、ということがひとつ。学校を閉じた聖域にしないこと。これで暴力系のいじめは止まる。
そして陰湿なコミュニケーション系のいじめ、つまりシカトする、悪口を言う、くすくす笑いをする、といった手法でのいじめに対しては、学級制度を廃止して数学とか国語といった単位ごとそれを受ける単位を集合させるという方法。なんかよくアメリカの映画に出てくるみたいに担当の先生の教室に生徒がぞろぞろ集まってくるみたいな感じか。
長期的には義務教育を一度解体して、教育バウチャー制度に直す。つまり読み書き計算の基本は教育バウチャーでどこでも無料で受けるようにする。これが義務教育。そしてそれ以上の教育は権利教育と位置付けて公共の組織でも民間の組織でも受けられるようにする。この時点で権利教育というか付加価値的な教育を提供する側も競争が起こり、自然と質が向上する。
中学生の年齢でも大学レベルの教育にとっとと行きたい人は行けば良いし、逆に芸術系や技能系、演芸系に行きたい人は自分で選んで行けばイイ。年齢の枠も取り払って全ての国民にオープンにする。
そうするとそれぞれのクラスには年齢も経歴も違う人が一緒に学ぶ、といういじめが発生しづらい、距離感を自分で設定出来る対人関係が醸成される、と。
こうすると社会自体が均一の価値観(たとえば、大卒がエライとか)に縛られないで様々な人間がそれぞれの価値観と生き方を選択出来るようになる。
いじめの構造を分解して、ここまでアイデアを拡げられるのがスバラしい。というかいじめって中学校とか高校というミクロな構造問題に収まらないのだ、という洞察ですね。
ちょっとだけ不満があるとすれば、今の教育制度を支える資源(予算とか法律とか)を調査した上で、新しい制度に組み替えるとすればどれ位の投資と時間が必要なのか?という部分がないところ。ここだけが猛烈に残念。
しかし今の「いじめのメカニズム」を解き明かすには十分すぎる分析と説得力。教員と教育関係者、親、保護者は読むべき良書。
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